漫望のなんでもかんでも

2018/01/18(木)14:00

「トロイ戦争は起らない」を見た

「トロイ戦争は起こらない」(ジャン・ジロドゥ)を見る。鈴木亮平がトロイの王子エクトールを熱演。 1935年11月22日、パリのアテネ座でルイ・ジューヴェ一座により初演。ヒトラーが政権を握って2年後である。ジロドゥは53歳。第一次大戦に従軍し、その後外務省に勤務していた彼にとって、トロイ戦争に仮託したこの作品はどんな意味を持っていたのだろうか。35年1月にヒトラーはザール地方を併合、3月には再軍備を宣言して徴兵制を復活させている。  1918年にドイツの降伏によって集結した第一次世界大戦から7年経ったこの時期、劇中でトロイの王子エクトールが語る戦争への嫌悪、少し前まで敵を殺し、味方の死者に語りかけてきた言葉は、おそらく作者ジロドゥーの体験と重なる部分があるのだろう。  「戦争は人間を平等に扱う、最も浅ましい、最も偽善的な方法なんだ」という言葉の裏にある数多の「事実」は容易に想像できよう。  エクトールは、獅子奮迅の働きをして戦争を防ごうとする。アフロディテの力を借りてスパルタの宮殿からパリスが掠奪してきたエレーヌ(ヘレネ)をギリシア側に返還する段取りも強引につける。国中の老人たちがエレーヌに夢中になっているのを押し切って。  ギリシアの艦隊の侵攻の様子は明らかに戦争覚悟のそれなのだが、法学者を脅して別の解釈をひねり出させる。  ギリシア側の先遣隊の一員から侮辱されながらそれにも耐え、敵将オデッセイとの対話においても様々な真実が明らかになりつつもかろうじてそれを押え、オデッセイから、エレーヌをギリシアの地に連れ帰り、戦争は行わないという約束を取り付ける。  妻がギリシアの軍人から侮辱されるのを眼前で見、思わず腰の短剣を抜きながら彼は必死で耐え続ける。  しかし最後の最後に及んで予期せぬことが起こり、彼は、「戦争は・・起こる」とつぶやかざるを得なくなる。  第一次大戦の開戦経過を検討したであろうジロドゥは、セルビアとオーストリアとの戦争でおさまるはずであったものが、あれよあれよという間に世界大戦へと発展したいきさつを外交官としての立場から振り返って唖然としただろう。  「経済的にここまで各国が密接に結びついている状況で、戦争など起こりえない」「ヨーロッパ各国の王室はすべて姻戚関係にあり、その事が戦争を防ぐことになるだろう」という見方は実際にあり、戦争が起こったとしてもそれは短期間で終了するだろうという根拠にもなっていたのだ。  事実を隠ぺいする、自国に加えられた侮辱を耐え忍ぶ、ジロドゥにとって、平和の維持はそれほどに重要なものであったということである。  しかし、彼は、人間の努力を越えた時点で起きる偶発的事態の恐ろしさも同時に認識していたと思われる。それがこの劇のラストに凝縮されている。  「戦争反対!」は、どんな試練に晒されるのか。「感情」を煽り立てるような雑誌が平積みで書店に並べられている中で、冷静な判断を広げていく道はあるのか?考え込んでしまった。

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