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2008.04.04
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カテゴリ:朝鮮役
 豊臣秀吉の朝鮮出兵(壬辰倭乱)に於ける李舜臣の大勝利として韓国人が世界四大海戦の一つだと主張する「閑山島海戦」は果たしてどれぐらいの大勝利だったのでしょうか?

●a.閑山島海戦の概要
 閑山島海戦は、文禄の役における海戦の一つ。
 文禄元年(1592年)7月7日に閑山島と巨済島の間の海峡で単独出撃をした脇坂安治の水軍が朝鮮水軍の誘引戦術により撃破された。

●b.閑山島大捷の作り方
 まず初めに李舜臣を韓国最大の英雄であると絶対的に盲信します。
 そして李舜臣賛美の為の韓国歴史司祭の言葉を決して疑ったり批判しません。
 1.李舜臣の戦果報告、倭船の発見数を大船36隻+中船24隻+小船13=計73隻、撃破・拿捕を大船35隻+中船17隻+小船7隻=計59隻としています。(見乃梁破倭状)
 3.大船を安宅船、中船を関船、小船を小早船と置換して解釈します。
 4.魔法係数の安宅船=200人、関船=100人、小早船=40人を撃破・拿捕に代入し、全損兵員と解釈します。
 5.結果、閑山島海戦に於ける脇坂水軍の損失兵員は8980人(=200x35+100x17+40x7)の莫大なダメージとなります。
 6.はい、「閑山島世界四大海戦」できあがり。そして「日本軍の水陸並進作戦を挫折させた」などと主張すると更に誇らしい表現らしく見えるでしょう。

●c.脇坂安治の動向
 1592年所領、脇坂:淡路洲本3.0万石の大名、階位:従五位下中務少輔。
 01.1590年02月 1500人 (参考)小田原役、動員定数
 02.1592年03月 1500人 文禄の役、動員定数
 03.1592年04月 文禄の役 開戦、脇坂は対馬にて船舶輸送の管理担当
 04.1592年06月 5月中旬より内陸配置。漢城郊外の龍仁戦闘では来襲した李洸将軍他の朝鮮軍5万以上を逆襲・撃破。
 05.1592年07月■6月14日より釜山にて水軍を編成。九鬼・加藤の準備を待たずに単独出撃を行い、開山島海戦で敗北。
 06.1592年08月 海岸防御戦術を命令され、以後の朝鮮水軍攻撃を撃退。
 07.1593年03月 1000人 晋州城攻撃計画(当初)、動員定数
 08.1593年05月  900人 晋州城攻撃作戦、海岸配置兵力及び築城動員定数
 09.1595年01月 1500人 再出陣計画、動員定数
 10.1597年02月 1200人 慶長の役、動員定数
 11.1597年08月 1200人 南原城攻撃兵力
 12.1600年09月  990人、(参考)関ヶ原の合戦、動員兵力
  ●出典
  c-01.(「秀吉朱印状・天正十七年(1589)十二月五日」船手人数)
  c-02.(「天正記」ちやうせん国御進発の人数つもり)
  c-07.(「秀吉朱印状・文禄二年(1593)三月十日」覚)
  c-08.(「秀吉朱印状・文禄二年(1593)五月二十日」覚、同 朝鮮国御仕置の城の覚)
  c-09.(「秀吉朱印状・文禄五年(1596)正月十五日」高麗国動御人数帳覚)
  c-10.(「秀吉朱印状・慶長二年(1597)二月二十一日」陣立書)
  c-11.(「南原城図」)
  c-12.(「参謀本部 関ヶ原役」)

●d.朝鮮水軍の規模
 朝鮮艦隊は李舜臣24隻(板屋船21,亀船3)、元均7隻、李億祺25隻の約50隻と言われている。
 1595.03.04の朝鮮王朝への実数報告等の戦船数から推測すると非戦闘員も含めて約7000人程度の規模の兵力となる。
 また、朝鮮艦隊の兵力を別の視点から見て、板屋船の定員を150人から200人と見積もっても7000人から10000人超の兵力が動員されていたと推測される。

●e.閑山島大捷はどれぐらい大勝利か?
 1.3万石の大名とは、概算3万人の人間が一年で消費する生産力を持った領土を持っているという意味であり、概算指標としては領土の人口は3万人に相当する。
 2.3万石1500人の動員は外征動員としては限界に近い数値であり、内訳の4から6割は人夫や水夫などの非戦闘員である。大名毎の政治経済事情で動員定数の充足率は前後する。
 3.閑山島海戦に参加した脇坂軍は前月まで漢城方面の陸戦兵力として戦闘を実施したばかりであり、転換命令により水軍としては急造されたものだった。
 4.閑山島海戦で武将の 脇坂左兵衛・渡辺七右衛門・真鍋左馬允(水軍出身、座礁上陸後に責任を感じて切腹) の三名の幹部が戦死している。
 5.脇坂安治も鎧に矢を受けたがの船は漕ぎ手が多い為に撤退に成功した。また脇坂艦隊の内、多くの船が陸に追い込まれて座礁し、約200名が巨済島に上陸して帰還している。
 以上を勘案すると脇坂安治が閑山島開戦で敗北したことは間違いなさそうであり、その死傷損失兵力は最大推算で600人前後であり、開戦時の動員定数兵力の1/3から1/2程度の打撃を受けたと考えられる。

●f.まとめ
 閑山島海戦は韓国人が思っているほど大規模な海戦でもなく、また兵力比較をしても大兵力の朝鮮水軍がさらに戦術を上手に使って順当に脇坂艦隊を撃破した海戦と言える。
 しかし、脇坂艦隊の兵力損失量は多く見積もっても数百人単位であり、他の戦いと比較しても多いとは言えない。
 そういえば脇坂記の危機だったという表現「十死一生」の記述を引用して、死傷率9割と主張したNAVER韓国人も居ました。(いや、マジで!!)
 また、韓国側が推測した日本水軍の損失数は、大名の御座船など少数しか建造されていない安宅船が日本に多数有るような誤解をするなど史料批判不足であり、8980人の兵員損失推定には動員数から見ても大きな無理がある。
 ただし、日本軍の快進撃を受けて連敗を期した李氏朝鮮では緒戦期に於ける貴重な勝利であり国内国外に向けて数少ないプロバガンダソースとして勝利を利用した。
 また李舜臣を抜擢した東人派要人の柳成龍などが党勢拡大の為に勝利を宣伝し、懲ヒ録などの記録が日朝で閲覧された結果、当時の日本軍に存在しなかった架空の水陸並進作戦を閑山島大捷で挫折させたり、日本軍が通商破壊のために補給不全に陥ったという妥当でない俗説が流布されることになる。

●つまり何が言いたいかというと
 韓国人の8980人損失推定数は脇坂安治の総動員兵力1500人が6回も全滅しないと成立しないということ。
 そして李舜臣の陣形が鶴翼の陣で「その戦術がどうのこうの」言われても、技術的に艦隊運動が不自由で移動に時間の掛かる時代に於いて単に突出した小勢を大軍が押し包んだだけに見えるのです。






最終更新日  2008.04.04 20:40:29
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