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前にハンゲームにはまってるって事を書きましたが、
最近は、そこの『3人麻雀』をやってます。略して『サンマ』というそうですが、ワタクシ麻雀は全くしませんので、とりあえず頭2つと同じ種類の牌を3つ集めれば良いしか頭にありません(^^;、ないてしまって役無しの時はロンされないようにだけ気をつけてる感じの超初心者ですwしかし全部同じ種類の牌だけを集めたり、2個ずつ集めたりと何か役が付かないかと集めてたら、ロンしたら役がついたりして、結構なんとかなるもんだなと上級者2人相手に毎日がんばってますw応援してくださいw 藤波が猪木との引退試合を望んでいるようで、しかし新日本を守り続けた男として引退は寂しい限りでございます。藤波はエリート街道を突っ走って来たと言っても過言ではないでしょう。長州の『噛ませ犬』発言がそれを証明してると思います。長州はミュンヘン五輪アマレス代表選手の肩書きを引っさげて鳴り物入りで新日本プロレスに入団したものの伸び悩んでいました。これはビデオで見たんですけど1982年10・8後楽園ホールの試合で、長州よりも先にコールされたり、試合が始まっても、どちらかが先発するか言い争いする始末、このとき藤波は確実に長州を格下に見ていたと思います。試合後2人に猪木の激が入ってました。 次に印象に残ってるのは、これもビデオで何回も見たんですけど、やはり1988年8.8のIWGP決勝戦、対アントニオ猪木戦です。60分フルタイムの男と男の気迫ある戦い、残念ながら猪木越えはならなかったんですが、事実上二人の引退試合と言われています。これこそ新日本の集大成の試合ですね。試合後、長州が猪木を肩車で担ぎ上げて受け入れて号泣してました。この試合が行われてた時、ワタクシはまだ12歳の時で、もうちょっと早く生まれて生で試合を見たかったなと自分を恨んだこともありました。 次に印象に残ってたのは1994年4月4日、広島グリーンアリーナで行われた橋本真也とのIWGP選手権試合です。この試合は橋本が切れてしまって藤波を蹴りまくり、サンドバック状態でした。橋本が切れてしまって周りが見えなくなってたとこに、一瞬の隙をついてグラウンドコブラでカウント3を取りました。橋本の脆さが見えた試合だったし、試合後、藤波は『詰めが甘いね。』ってコメントしたのにはプロレスの奥深さを感じました。 今は引退を撤回してほしいと選手や芸人が言ってるけど、 ワタクシはもう十分ではないかと思います。やはり最高の幕引きが 出来るように、みんなで応援してあげる方が藤波選手にとって幸せなのではないでしょうか?1・4、藤波選手の引退試合が対猪木戦であることを願っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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