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2009.09.24
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カテゴリ:素晴らしい人

昨夜まで三夜連続 白洲次郎の伝記をドラマ化したものをNHKで放送していた。
白洲次郎に関しては、カメのように先生から紹介された。

文人でありながら武士道を感じる日本人だなぁと思い、魅力には感じていたが 研究を怠っていた。

彼の武勇伝は、敗戦で日本人が卑屈になる中、英米に対し胸を張って真偽を議論したところである。
有名な話は、白州次郎が天皇陛下のクリスマスプレゼントをマッカーサー司令長官に届けたとき、マッカーサーが「床のどこかに置いておけ」という仕草をしたところ、マッカーサーに対して白洲次郎が叱責した点である。
おそらく、当時の日本人でマッカーサーに対して意見できたのは彼だけだろう。
自分の腹を斬るだけが勇気のある行動ではない。
強大な相手に臆する事無く立ち向かう姿勢も勇気である。

今回のドラマで教わったのだが、彼は上記以上に勇気ある行動を成し遂げていた。
開戦直後、日本が英米に勝てないと判断した白洲は日本国内が物資不足になることを予測し、東京の郊外地町田まで自主疎開をし農業で暮らした。
家族の生活と安全のためにという解説だったが、政治家に精通していた当時の彼ならば都市にいても安全はともかく ある程度の安定した生活は出来たであろう。政治秘書などをしながら。
彼の疎開の目的には もうひとつの大切な決断があったのだ。

「時が来るまで 待とう。」

何時の時代でも何処の世界でも 戦う以上に勇気のいる事は 待つことだ。
白洲が意識していたかどうかは分らないが、徳川家康も待つことを実践し最後に勝ったのだ。
陸軍の圧力により、日本国民は有り得ない方向に突き進む今を見ながら 耐えて敗戦という「時」が来るのを待った。

これこそが、彼の偉業である。



博学研究家 横尾けいすけ Yokoo Keisuke
mail to yokoo@mopera.net






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最終更新日  2009.09.24 23:21:41
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