カテゴリ:社会風俗
どう成りたいか よりも どう在りたいか。 最近、気に入っている言葉です。 「○○君は大きくなったら、何に成りたいの?」 「お医者さんに成りたい!」 これは とても夢がある会話で微笑ましいのですが、この大人と子どもは成りたい職業の話しをしています。でも子どもが医者に憧れたのは、その子が関わった医師の何かが素敵だったからでしょう。 「自分もあの先生のような○○な医者になりたい。」と思ったはずなんです。 患者に誠実でありたいとか、患者の話をよく聞く医師でありたいとか、新しい治療技術を開発したいとか・・・。 そういう「どう在りたいか」を考えていないと、何時かは つまずきます。 念願叶って、医者に成ってからつまずきます。 明治維新からの日本は、収入が高い人が偉い人という概念がはびこっていました。お陰で経済大国に成れたのですが、失ったものも大きいです。例えば武士道。武士の家に生まれた者は職業の選択は出来ませんでした。さらに通常は出世して身分と石高の高い武士になる事はありえないので考えませんでした。 では、何を考えて人生を送っていたか。それは「どう在りたいか」です。 今でも 本当の一流経営者は「どう在りたいか」を考えているようです。 博学研究家 横尾けいすけ Yokoo Keisuke mail to yokoo@mopera.net お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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「どう成りたいか」のみを思っていると、それが現実化したとき無念ですね。
「一流大学に合格したい」と思っていた人が合格したら、 「社長に成りたい」と思っていた人が会社を興せたら、 「憧れのあの人と結ばれたい」と思っていた人が結ばれたら、 望みが叶った瞬間に無念になるのは悲しいですね。 そんなことにならないように、「どうありたいか」を考えていたいと思います。 コメントをありがとうございました。 (2009.10.10 22:27:45) |
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