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こちらは 映画や小説などの感想文(レビュー)です。

2010.08.15
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学生の頃、本を読むのが嫌いでした。
小学校低学年の頃はまだ良かった。学校内に有る図書室にクラスメイトみんなで行って、自分の好きな本を選んで読んでいたから。大抵、図書室は校舎の端っこに有って、管理する“図書室の先生”が不在の学校では担任の先生が施錠してある鍵を開け、野球帽子を携帯している少年とおさげの少女達が遊園地の如く楽しげに乱入した。
読書は最高の楽しみだったのだ。
しかし、当時の大人の多くは著しく幼稚だったので、真の良さよりもブランドを優先していた。否、真の良さを知る能力が無かったのかもしれない。代表的なのが「小公子」と「小公女」で、小学高学年になると読む事を勧められる。同時に、この頃に多くの子は第一次反抗期になるので、お上からの推薦に反発する。理屈抜きで大人の推奨するものには嫌悪する。
昭和の頃を懐かしみ栄誉する人が居るが、僕は否定する。当時の日本人は大人も子供も廃れた心を持っていたと思う。「金持ち=偉く良い人」って狂乱な思考でしょう。結婚相手を“三高”で選んだり、就職する会社を数年後の年収で選択したり、クラウンの後ろの席でふんぞり返って居る社長が正で、運転している運転手が非だという単純な図式、あまりにも愚かな学歴絶対主義時代だった。
そんな時代だったからこそ、純文学って反抗期の子どもには嫌われた。

物質的には恵まれた時代に多感な時期を過したのだけれど、精神的には刷り込みの餌食になっていたのかもしれない。
オバカなPTAが、「ドリフターズは子どもを馬鹿にする」と言っていた。でも、ドリフの影響でバカに成った人はひとりも居ない。馬鹿だったのは当時のPTAたったのだ。

そんなこんなで、純文学って「面白みが無い正義感のストーリー」というイメージが有ったが、今こそ本当の純文学の楽しみ方を認識したい。


横尾けいすけ Yokoo Keisuke
mail to cayman450s@yahoo.co.jp







最終更新日  2010.08.16 00:04:14
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