カテゴリ:社会貢献
何故、本物の伊達直人や模倣者の伊達直人が、顔を出して堂々と寄付をしないのかという事の前に、解明しなくてはならない事が有りました。 それは、「何故、人は寄付やボランティアをするのか」ということです。 「せっかく手にしたお金を自分のために使わずに何故に寄付するのか気が知れぬ」という人も居ると思います。僕も幼い頃はそう感じていました。 一生掛かっても使い切れない位稼いだ大富豪が寄付をするのは理解出来ていたのです。 (↑正確には頓珍漢な理解だったのですが、) 分からないのは自分の生活も危うい人が寄付することです。しかもこういう人は世界各国に沢山居るのです。 今回の件も孤児院にランドセルを贈るより、その金で洒落たジャケットでも買ってそれを着て闊歩した方が幸せだと思う方も少なくないと思います。僕もそういう考えでしたが、何人かの募金をよくする人と話していると、何故寄付するのかが段々と見えてきました。 フツウは対象者が気の毒だから募金すると思うじゃないですか。例えばアフリカの飢餓している子どもの写真を見て気の毒に思い寄付すると思いますよね。でも募金のベテランは年中気の毒に思ったりしていません。飢餓の子どもを哀れんでいたら切りがないのです。全うに涙していたら鬱病になってしまいます。 では何故に寄付を繰り返しするのか。 それは、寄付している本人が嬉しいからです。快楽だからです。 人により大なり小なり差はあるのですが、人間には愛すると充足されるところがあります。 注意してもらいたいのは「愛されたい」でなくて「愛したい」です。 「そんなことはない!愛されただっている奴ばかりだ」という意見の方は、その人の事をよく思い出してみてください。きっと募金をしていない人です。そして幸せでない人です。 募金しない人が悪い人だと言っているのではありませんよ。 幸福というのは、愛される事ではなく愛する事だというのを知っているか否かなのです。 言いたいのは、「募金を習慣に出来ている人は、全員が幸福な人だ」ということです。 全ての人間には「愛したい」という潜在意識があるのだと思います。 なぜなら、そう仮説しないと人類が存続したのは説明つかないからです。 性悪説は、全ての人間は本来性悪なので、教えること学ぶことによって人間性を高めることが必要だという理論ですが、それは誤った考えだと思います。なぜなら原始人の時代に教育はなかったけど人は生き残っているのだから。 異性を愛する。子どもを愛する。地域を国家を愛する。色々な愛があります。 愛する事はとても素晴らしいことです。しかし、自分の快楽のために愛している面が有ることも事実なのです。 (続く~) 横尾けいすけ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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