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こちらは 映画や小説などの感想文(レビュー)です。

全62件 (62件中 31-40件目)

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仁徳

2006.07.18
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カテゴリ:仁徳
世の中には「常識」がある。
“大人”の条件は、常識を理解し実行できる者である。

ガス湯沸かし器を室内で使用したら、酸素がドンドン無くなるから換気しないと死ぬのは常識。
なのに、窓も開けず換気扇も回さないで、死んだり麻痺になったりしたのは、誰の責任だろうか?
さらに、全ての湯沸かし器には「必ず換気を」とのステッカーが貼ってある。
なぜ、その道のプロから言われた通りにしないのか。

こういう点に、現代日本人のアンポンタンがみえる。

そして、すぐに、自分を正当化し、被害者にし、同情をあおい、一部に責任を負わせ、己は器用に楽しく生きようとする。
児童の“いじめ”と全く変わりない。

20世紀からアメリカで流行っている「消費者至上主義」のバカ共だ。

今回のパロマの事件は、裁判で絶対パロマが勝つ。いや、勝たねばならぬ。
「換気しろ」と言っているのに換気しなかったのは本人の責任だろう。

体を洗った愛猫を乾かすために電子レンジに入れたら死んだと言われても、「お前がバカだから猫が死んだんだ」と思うのが常識だと思うのだが。


横尾けいすけ






最終更新日  2006.07.19 00:18:47
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2006.07.12
カテゴリ:仁徳
明日13日から16日まで、靖國神社にて、「みたままつり」が開催される。

このお祭りは、「靖国神社がお盆にちなんで戦歿者246万6千余柱の「みたま」を慰めるため、戦後の昭和22年から始めたもので、今年で60回目。神社境内に飾られた29.000灯個を超す「懸雪洞(かけぼんぼり)」や大・小提灯の「献灯」は、東京九段の夜空を美しく彩り、今では東京はもとより、日本の゛夏の風物詩゛として、多くの人々に親しまれ、毎年30万人の人出で賑わっている。」
(靖國神社ホームヘージより抜粋)というもの。

崇敬奉賛会会員のわたくしは、立場をわきまえ、小提灯1つを飾らせていただいた。
29,000灯個のひとつに、“横尾敬介”があるはずである。

私は、いわいるA級戦犯者も含めた、戦歿者246万6千余の「みたま」を慰める。
ソンバーユの創始者、直江昶氏の有り難い言葉「日本民族は、仁徳というものを遺伝子に沁みこませている。」にもあるとおり、万人は死すれば現世でどのような行いをしようとも、神であり仏なのである。

「罪を憎んで、人を憎まず。」


ところで、“いわいるA級戦犯者”は、ほんとうに犯罪人なのだろうか?
個人として裁かれるべきだったのだろうか?


横尾けいすけ






最終更新日  2006.07.12 22:29:18
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2006.06.24
カテゴリ:仁徳
以前、師より、「類友の法則」というのを学んだ。
これは、「類は友を呼ぶ」という格言と同じなのだが、
己が未熟だと、自然と未熟なヒトが近くに溢れ、
己が邪念溢れると、自然と邪念者が友人となる。

村上氏や堀江氏の金満主義も、友人との相乗効果で膨れ上がってしまったのかもしれない。
韓国人の暴力本能も中国人の世界一思想も、自国民同士の類友なんだろう。

以前の職場でも、○○施術者を指名する顧客は困り者ばっかりだ。とかよくあった。
困り者とは例えば、
先生が、癌でないと言っているのに、私は癌だと言い張り、10年が過ぎる方。
施術の時間であるにも関わらず、雑談・愚痴を並べる方。
(こういうネガティブな会話は自律神経を狂わす。)
素直に学べない方。間違いを認めない方。(日本人にも30歳後半に多くなる。)

己の人間性が出来上がってくると、このような(判りやすく言えばバカ)が自然と集まらなくなる。
(気をつけなくてはならないのは、他人(顧客)を選んではならないということだ。選ばず全員に全力を尽くしても結果的に己が出来ていると良い人のみが選択していただける。)

近日、私は“風の赴くままに”このblogアドレスを紹介している。
決して、選んでいるのではないのだが、自然とそういう行動をしている。
そして、賢者のみが、このblogを読んでいるのだ。
あなたも、あなたも、そして、あなたも、素晴らしいから、このblogが紹介されたのだ。

特に、若い読者は、周りのくだらないヒトに悩んでいる方もいるかもしれない。それで自己嫌悪するかもしれない。
しかし、それは間違っている。
なぜなら、私、横尾との出会いという素晴らしき現実があるからだ。
自分に自信を持って、さらに覚醒あるのみである。


横尾けいすけ






最終更新日  2006.06.25 00:34:20
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2006.06.18
カテゴリ:仁徳
休日の今日は、散髪した。

人間、年取っても、爪と髭(ヒゲ)と髪だけは伸びる。

今日は友人の*M*さんにカットしていただいた。
彼女は、わたくしの職場の隣りの美容院で働いている。
まだ学校を卒業したばかりのお若い方だが、輝きある瞳をお持ちのチャレンジャーだ。

私は、仕事や目標に対して、初心者であっても情熱あるチャレンジャーが素晴らしいと思う。
どんな仕事でも、例えベテランであっても情熱が廃れてはダメ。
挑む気持ち(チャレンジ)が無くなってはダメ。

終わってから彼女より聞いたのだが、メンズを上司の指導なしで仕上げたのは初めてなのだそうだ。
しかし、私にはそんなこと問題外であって、必ずや良い結果であろうと安心していた。
なぜなら彼女は、このblogの表題にある、「常に覚醒していること」を実践しているからだ。
私も「常に覚醒」するように心がけているのだが、時折だれける。
だらけたら、手技療法はどんなに高等テクニックを利用しても意味がない。
だからこそ、己の周りには覚醒している友人と顧客を集めていないと、己が廃れるのだ。
基、己が廃れた時に気づかないのだ。

今日は彼女から“ひとつひとつ丁寧に”ということを学んだ。
彼女は始めから最後の仕上げまで、一切り一切り丁寧に鋏を駆使した。
“丁寧な仕事”というのは伝わるもので、本当に有り難い。
自分も、一押し一押し丁寧にしなければならないという10年前から知っていた基本を今もまだ出来ずにいることを反省した。
(ついでに、ムースとスプレイの使い分けについても学んだ。)

大切なのは、「覚醒ある丁寧な仕事」である。


横尾けいすけ






最終更新日  2006.06.18 23:04:45
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2006.06.05
カテゴリ:仁徳
インサイダー取引は、何十年も前から不法とされている。
しかし、今回の村上世彰氏が、この道のプロ中のプロでありながら不法行為を侵してしまった背景には、「資本主義を金銭至上主義と履き違えている」心情があるのだろう。

例えば、1億円は素晴らしい。これは事実だ。わたくしも同意である。
問題となるのは、この先の欲望で、1億円より2億円が魅力に思い、2億より10億が人生の成功に思ってしまうと、気づかぬうちに悪魔が附録されている。

ヒトが一生かけても使い切れない資産を手に入れたとき、常道ならば営利目的の企業を退くべきなのだ。
後は英国貴族同様、遊んで暮らせばよい。
ドンドン消費して、他者に還元すればよい。
なぜなら、金は使用して、はじめて価値があるから。
貯金通帳の数値のうちは、夜空の星の数と同じで、俺のものと自慢しても架空でしかない。

もし、村上氏がこの文章を読んでも、無感動だろう。
なぜなら、彼は金銭至上主義に飽き飽きしているから。
村上氏はこの業界から足を洗うそうである。
きっと、政治家になると思う。
なぜなら、「人は金を手に入れた後は、名誉が欲しくなる」から。


横尾けいすけ






最終更新日  2006.06.06 00:05:47
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2006.05.31
カテゴリ:仁徳
おしゃぶりを子供に使い続けておかしくなったからメーカーに損害買収

こういう下種を たかり、もしくはチンピラという。
みんなで無視しよう。


横尾けいすけ






最終更新日  2006.06.01 00:30:33
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2006.05.28
カテゴリ:仁徳
今日は休日で、新宿まで足を延ばした。
新宿は、花園神社のお祭りなのか、神輿が沢山出ていた。
「盛大に、」と言いたいところだが、わたくしが訪れた時刻が夕刻だったこともあり、神輿を担ぐお父さん達は疲れていた。
悲しいかな、ここにも高齢化が実感できる。

ところで、神社のお祭りは、何のために在るのか知っていますか。
秋に行う「収穫祭」は例外として、多くの祭りは生きているヒトのためでなく、奉られている神様に御接待するために在るのだ。

さらにいえば、神社自体が、生き人の願いを叶えるためにあるのではなく、奉られている神様をなだめるためにあるのだ。

日本の神様は、イエス・キリストをはじめ、外国の神様と異なる。
簡単にいうと、善人や万能ではない。でも、神だから凄い力があり、怒らせると暴れるから、なだめるために神社を造ったり、祭りをするのだ。

最古の神様の天照大神は、乱暴者の神が暴れていると冷静に諭す気配も無く、女性特有のヒステリックでへそ曲げて、岩戸に隠れて現実逃避してしまった。
彼女が隠れると世の中が真っ暗になって困るから、皆でワイワイ楽しく酒宴をしていたら、天照が出てきた、というのが紀前650年前の神話。

正しくこれが祭りの起源である。

他にも、左遷されて恨んで死んで暴れた、菅原道真公を奉るのが菅原神社で、これ以上暴れませんようにとの意味で菅原神社がある。
この意味を知らなかった私は、8月25日の祭りには道真公のことなんか頭に全くなく、自分の楽しみばかりにふけっていた。だから受験の時に“お願い”しても相手にされなかった。

そして、、、
靖国神社は何のためにあるのであろうか。
この神社は、明治天皇が戦没者のために造ったものだ。
明治の当時から、当たり前ではあるが、戦没者はこの世に無念である。
だから奉り、拝み、定期的にお祭りをして神となった方を喜ばせるのだ。

このような概念を知らない中・韓・北は、勘違いして、靖国参拝=軍事力強化などと思ってしまう。
(トップの赤が思わせているともいえる。)

お盆に御先祖さまをお参りするのと全く同じ感覚で、靖国神社を拝殿しているのだと説くのが真の政治家であろう。


横尾けいすけ






最終更新日  2006.05.28 23:09:39
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2006.05.17
カテゴリ:仁徳
大東亜戦争の頃、日本が多くの朝鮮人を拉致した。
(この表現には多くの反論があるだろうが、わたくしは拉致と認識している。)
彼らは戦後も日本で生活し、同国民同士で結婚し子供を産んでいた。
日本で真面目に一生懸命勉強しても認められなかったり、選挙権を与えられなかったり、50年間大変だった。
中学生だった頃の私は、バカ少年だったので、市内にあった朝鮮中学校を「チョン中」と言っていた。
(バカにしていたというより恐れていた。チョン中の一人と喧嘩をすると100人で仕返しにくると言われていたからだ。)
そんな思いでも20年以上昔のことだ。

10年前に整体学校に通うために、東京の東十条という街に3年住んだ。
近くに、北朝鮮系の女子高校だと思われる学校があった。
祖国の服装の制服の彼女達と同じ路地を共有させてもらったが、とても自然で、とても居心地良かった。

これが、同化だと思う。
これが、お互いの幸せだと思う。

今日の新聞の朝刊と夕刊のトップには、
時代錯誤の、自虐的な年寄りが「和解」している。
とても馬鹿げている。
「昔の恨みを忘れないように」などと考えずに、
子孫が幸せになるためにはどうすべきかと、なぜ考えないのだろう。

いずれにしても、同化は加速度的に進むだろう。
なぜなら、DNT的には朝鮮人と日本本土人とは、なんと那覇人より近いのだから。

ウザイのは、トップの赤と、パチンコ屋で財を成したオヤジである。


横尾けいすけ






最終更新日  2006.05.18 00:20:49
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2006.04.29
カテゴリ:仁徳
現在わたくしは、平日は、3年前に勤めていた接骨院に勤めているのですが、その頃にいらした患者さんが、いまだに通っていて、しかも私のことを歓迎してくれることに感動しています。
私が、「また、よろしくお願いします。」と、頭を下げ、患者さんが再会で喜んでもらえれば、素晴らしいことです。
施術者と患者との関係は、一方通行ではなく、“お互い”なのではないでしょうか。

さらに、昨日感動したことは、3年前にはすでに83歳の要支援を受けていたババーが、私を覚えていたことです。
このババーは、当時から何時死んでも不思議ではなかったのですが、昨日、再会しました。
3年前との違いは、要支援が要介護に変わり、杖を持つようになり、週に1回通っていたウクレレ教室は通学不可能になったためリタイヤしたこと、そして、オムツをしていたことでした。
それだけの違いでした。
大声でしゃべりっぱなしのところも変わりなく、自分よりボケている年寄りを小馬鹿にするところも変わりなく、膝の痛みを事細かに説明するところも変わりありませんでした。

ババー「私、痴呆症かしらねー?」
私 「わたくしの事を覚えていたのだから、ボケていないです。」
(このリピートが20分続く)


横尾・デパスボウイ・けいすけ







最終更新日  2006.04.30 00:26:31
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2006.04.16
カテゴリ:仁徳
先日、居酒屋で、ちょっとした思い付きを友人の富さんに話したら、
「さすが!あんた天才だよ。」と富さんは喜んでいたが、わたくしが天才なのではなく、あんたが普段から思考していないんだよと言いたかった。
でも、座がシラケルから止めた。

天才とはなんだろう。世間はどういう人を天才というのだろう。


エガス・モリスというポルトガル人の医者は、1949年にノーベル生理学医学賞をとった。

ノーベル賞を受賞すると、「天才」と多くの人から言われる。
なぜならノーベル賞は、“正しい社会貢献性”のある大発見に対して与えられるものだからだ。

当然、モリス氏も当時は「天才」と呼ばれた。
しかし、今では彼のことを民衆は“気違い”と呼ぶ。

モリス氏の受賞理由は、「ある種の精神病において、ロボトミー手術の治療的な価値を発見したこと」である。
ロボトミー手術とは、精神疾患者の脳の前頭葉を切ってしまう治療法。
この手術をすると、精神疾患者の治療になると世界的に認められたため、ノーベル賞を受賞したのだ。

当時からこの手術により、廃人になってしまったり、死んでしまったりする副作用もあったのだが、時代が悪く(第2次世界大戦のため、疾患者が非常に多かった。)、まだ薬物療法が発見されていなかったので、手に負えない患者の増加を解決したことで、認められたのだ。

ところが、その後、薬物療法の進展と反比例し、モリス氏の評判は180度変わっていく。

べつに、モリス氏のことを批判しているのではない。

伝えたいのは、「世間の考え方の大河のような流れ」である。

わたくし達は、常識や当たり前、そして天才とされた人の発見に洗脳されやすい。
大河の流れに逆らわず、ゆっくり全員同じペースで行くと楽だからだ。

例えば、私たちは資本主義がベストだと思っているが、“私のインターネット図書館”で紹介してある「お金のない国」のように常識を真っ白にすると、あれ?と思うことが沢山ある。

私は、そういう発想をできる人を天才と呼ぶ。
大河の流れを変えられた人を天才と呼ぶ。


横尾けいすけ
yokoo@yokoo-jp.com






最終更新日  2006.04.16 22:06:24
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