2009.08.23

裁判員制度の本質

カテゴリ:社会風俗
2009.08.14の日誌「人を裁くということ」にて、わたくしは裁判員制度を否定したが、新しいデータが入手されたので、再考したいと思います。

「激突!裁判員制度」(ワック)を読むと、裁判官出身で弁護士の井上薫氏とジャナリストの門田隆将氏が対談している。

以下、サンケイEX2009.08.23号20ページより抜粋
「現役の裁判官はもともと反対していた」井上弁護士が自信をもって言い切ると、すかさず門田は鋭く切り返す。
「だからこそ、裁判員制度は必要なんです。」
つまり、裁判官がこぞって反対するのは、彼らにとって「都合が悪い」からである。そこに現行の官僚裁判官制度の厚い壁が立ちはだかっている。
(中略)
その効果について両者の意見は分かれる。一致したのは、裁判官に対する批判である。
門田「常識からはずれ、自分だけの理屈に固執する。批判に耳を傾けない」
井上「裁判官は、世間知らずで傲慢そのものです。その自覚もない」

「読む」山田慎二 「司法参加への道」

裁判官は限りなく冷静でフェアーでなくてはならない。感情で人を判断してはならない。それが完璧であることを期待される。
これは人間というよりも神の領域に近くなるのだが、裁判官も人の子、生活上誤った行動を犯す可能性もある。
ここが本当の神と 神に近い人間との差だ。無理がある。
先日も裁判官がストーカーをして有罪になってしまった。雄が雌を求めるのは本能的に健康なことだが、まともな社会人はストーカーをしない。なぜなら迷惑な行為だし、法律で禁止されているからだ。
それを解っているはずの現役裁判官が犯してしまった事実は氷山の一角かもしれない。
人道の専門家であるべき裁判官出身者で、人の道を説く作家も聞かないし、歴史的にも賢者を知らない。
門田氏と井上氏も意見は正しいかもしれない。俗世間との交流を断絶されている裁判官が世間ズレしても不思議はない。

裁判員制度が被告を裁くためのものではなく、裁判官を管理するためのものならば、一考に価する。
でも、裁判員のお説教を裁判官が聞くか否かは疑問かな。



博学研究家 横尾けいすけ Yokoo Keisuke
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最終更新日  2009.08.23 23:50:56
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