1995年3月20日 地下鉄サリン事件発生時は乗務中だった
地下鉄サリン事件から今日で30年。事件当時私は車掌で、明け番で急行新宿行の乗務中に第一報が入った。列車無線を介した司令所からの情報は「千代田線霞が関で発煙があり、乗入れを中止する」というものだった。それを聞いた私は、小火でも起きたのかと思い、その後世間を震撼させる猛毒のサリンが撒かれたなどと思う訳もなかった。代々木上原駅到着前に千代田線の運転状況をアナウンスし、乗務後に大野の車掌区に戻ると。休憩所のテレビ前に人だかりがあり、映っていたワイドショーを見るととんでもない事が、自分の近くで起きていたことを知った。【写真】2008年5月16日 唐木田車庫で実施したテロ対応訓練仮に千代田線から直通運転で乗入れてきた場合、自分の担当列車でもテロ行為が発生した可能性があり、その時どうやってお客さまの安全守ればよいか、そのためには身を挺して救助し死ぬこともあるだろうという事を思った。実際に多くメトロ職員の方が犠牲になっている。私の車掌マインドは、命を懸けて旅客の命を守った車掌「小説 塩狩峠」の主人公永野信夫であり、車掌になって7年を迎えようとしていた私にこれを強く意識させる出来事だった。塩狩峠 [ 三浦綾子 ]にほんブログ村