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カテゴリ:大阪府自治体巡り
大阪府自治体巡り2周目、大阪狭山市のテーマは「狭山藩」。
(1周目のテーマは「南海電鉄煉瓦造暗渠群」) 南海高野線〈大阪狭山市駅〉で下車し、駅から狭山池のほうへ歩き、府道198号線を右に曲がって北へ400mほど行くと、 ![]() 案内板と石碑がある。 ![]() ![]() 『狭山藩陣屋跡』とある。 1600年から明治維新まで続いた狭山藩は、12代にわたって北条氏が藩主となっている。 この北条氏は、秀吉の小田原征伐によって敗れた北条一族。 北条氏政と氏照は切腹だったが、氏政の子である氏直と氏政の弟の氏規は切腹を免れ高野山に蟄居の身となった。 氏直はその後ほどなく亡くなってしまうが、氏規が北条家の家督を継ぎ、代々この狭山の地を治めていくことになる。 狭山池周りの堤に上がろう。 ![]() 日本最古のダム式ため池の狭山池は、平成の改修で見つかった「東樋」の遺構を年代測定すると、西暦616年ごろに伐採された木材で作られた「樋」の設備であることがわかった。 1400年の長い歴史がある池だ。 狭山池の北東側が狭山藩の陣屋があった場所になる。 ![]() 狭山池の東側の堤を南に行くと公園の中に、 ![]() 『狭山藩陣屋跡 下屋敷』の案内板があった。 ここはさやま遊園があった場所じゃないかな。 大阪南部で小さい子供がいた家はお世話になったことが多い遊園地。激しい動きをするアトラクションはなく、メリーゴーランドなど小さい子が楽しめる遊具がたくさんあった。 そういうほのぼの系遊園地は減ってしまったな。 時代劇で小田原征伐の場面が終わると、「これにて小田原の北条は滅亡した」というナレーションが入ることが多いが、実際は滅亡せずに、ここ河内の地で細々ながら明治維新まで続いていった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.07.13 12:30:04
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