2008/11/23(日)20:21
「明日もまた生きていこう」横山友美佳
明日もまた生きていこう本日読み終わったのは、こちらの一冊です。確か、全日本の女子バレーがオリンピック出場が決まる試合の頃、彼女のことを紹介していたような・・・気がします。台所をしながら、ちろっと見ただけなので、よく覚えていないのですが、バレー選手が、病魔に倒れ、亡くなり、そのチームメイトが彼女の分も頑張る!と、話していたような。多分、まだ私自身、まさか手術することになるとは思っていなかった頃だと思うので、あの時、もう少し自分が手術が決まっていたら、もっときちんと見ていたかと思います。 著者は21歳で亡くなっています。18歳で「横紋筋肉腫」という小児がんの一種に襲われ、その後は壮絶な闘病生活を送っていました。それまでは、バレーボール漬けの毎日で、北京オリンピックに期待をかけられていたそうです。(バレーボール界にすっかり疎いので、こんな書き方ですみません。) 18歳で発病しましたが、小児がんという事で、国立がんセンターの小児病棟に彼女は入院します。発病と書きましたが、発見された時には、ステージ4だったそうです。だから、もっと前から発病していたのでしょう。 その小児病棟で、3歳から入退院を繰り返している小学校6年生の女の子が、横山さんの隣のベッドに入院しました。横山さんは、入院生活に苦痛しか感じていなかったのに、どうして小学校6年生の女の子が、3歳から入退院を繰り返している女の子が、楽しげにいられるのかとても不思議だったそうで、彼女に話を聞いてみたそうです。 少女は、幼い頃から入退院をくりかえしていたから、それが当たり前に感じていて、そうじゃない人生は知らない、考えられない、と答えたようです。 更に、少女が横山さんに言った言葉。 「人は生まれた時に、神様が何種類かのカードを差し出してくれて、その中にたくさんの言葉があって、例えば≪知識≫であったり、≪健康≫であったり、それに対して自分はたまたま≪病気≫というカードを引いたのよ。」 このくだりを読んだとき、私、びっくりしました。そんな考え方をしたことがなかったです。しかも小学6年生の口から出た言葉なんですよ。 どうして、わたしはこうなの?どうして、娘はこうなの? 頭で納得して、腹くくったつもりでも、時々、私は、ふっとこう思う。きっとこれからもふっと思う事は何度も来るかもしれない。 私は、最初に生まれてくるときいいカードをもらっていたと思う。人生生きて行くうちに、ずっと同じカードを手元に持っていることはできないのかもしれない。そう、それは、ババ抜ききみたいなものなのかな?ポーカーみたいなものなのかな?手元にあったカードを、そのうち、手放して、いつの間にか、新しいカードを手にしているのかもしれない。手元にあったカードはもう十分役目を果たしたから、今度は、このカードをお持ちなさいって、手渡されているのかな? 横山さんに話をした少女が、その後どうなったかは書かれていないからわかりませんが、もしかしたら、≪病気≫のカードを”もう十分ですよ、ご卒業なさい。”と神様に言われて、すっと≪健康≫のカードを手渡されているかもしれないな・・・って思った。 横山さんは、子供の頃から、もの凄く全力で生きてきている。凄く頑張って大きくなって、何が悪いんですか?と神様に言いたいくらいのカードを手にしていたのかもしれない。 彼女は本の中で叫んでいる。生きれる命を自ら断ち切る人が増えている。そんな捨てる命だったら、私に下さい。と。