言葉のもつ魔力-ベリトの悪魔
何度も言いますが私はマンガやゲームで学んだことが多いです。そんな中でも最も印象深いエピソードが『パタリロ』の魔王ベリトのお話です。 パタリロは現代を中心としたギャグマンガなのですが文庫本13巻はなぜかパタリロが見ている夢のお話。主人公であるパタリロ(8世)は夢の中でご先祖であるパタリロ6世になって魔界の大魔王アスタロトに付き従っているという異色の1冊です。パタリロが仕える大魔王アスタロトは魔界の4大実力者の一人。その実力は魔界の中では圧倒的です。そしてそのアスタロトと敵対するのがやはり4大実力者の一人ベールゼブブ。この二人は魔界の住人なら誰もが欲しがるという法王の魂をめぐって激しく対立するのです。 今回のお話の肝はそのベールゼブブの部下でありなぜ魔王になれたのかもわからない貧弱な悪魔ベリトが圧倒的な実力を持つアスタロトを窮地に陥らせるというものです。魔王ベリトは「底の浅いウソ」を常につき、千に一つも本当のことを言いません。しかもそのウソも本当にひどく「天使達は人間の肉を食べている」「サタン様は実はホモだ」「人間界のロンドンではダッコちゃんが流行している」など、もはやまったく意味がわからないウソしかつかないのです。おかげで他の魔王からもバカにされています。しかしこのベリトがアスタロトにむかって去り際に捨て台詞のようにこう言うのです。「アスタロトは自分が保管している魂のことなんか心配しなくていい。地底の妖怪がひそかに魂を食い荒らしているなんてことは絶対にない。」ベリトが千に一つも本当のことを言わないのは周知の事実。気になったアスタロトは魂の保管場所である白紙委任の森に向かいます。白紙委任の森は迷いの森。案内人なくしてはアスタロトでさえ保管場所にたどり着くどころか出ることすらかないません。「案内人、ガイドを頼むぞ」 そんなときにどこからともなくあらわれたベリトが大声で叫ぶのです。 「心配するな! そこにいるアスタロトは本物のアスタロトだ! 決してベールゼブブ様が魂を盗むために化けているわけじゃないぞ!」 形相を変える案内人。 「おのれ、ニセ者!」 「バカなことを! 私は本物だ!」「ベリトがそういうからにはお前はニセ者にちがいない。」「違う!ベリトが本当のことを言っているんだ!」 「ベリトは本当のことを言わない!」 姿を消す案内人。こうして魔界の大公爵・アスタロトはベリトが言ったたった1つの『本当』のために白紙委任の森に閉じ込められてしまうのです。折りしも法王の魂争奪戦の期限が迫る。 「まさかベリトが本当のことを言うとは思わなかった。百万回に一度の真実が奴の武器だったんだ。」 この話はこれでおしまいです。この後、アスタロトがどうなったのか?それは今回の主題ではないのでおいておきましょう。それにしても考えさせられますよね。ベリトはどんなすごい魔法も秘術も使ったわけでもなく本当に言葉のみで自分より断然格上のアスタロトを窮地に陥らせたわけです。これって魔法でもなんでもないので私達人間でも使えたりするわけですよ。もちろんウソばっかり言っているとベリトのようにバカにされますが、これを真実に置き換えればちゃんと我々人間社会でも使える戦術になるのです。つまり「普段からウソはぜったいにつかない。」そして「ぜったいにウソをつかない人のウソは最大の武器。」 昔、親が言ってました。「詐欺師はまず小さなお金を借りてキチンと返す。それを何回もやって信用させておいて最後にデカイ金をガツンと持って逃げる。」 「だから、信用できると思う人間こそ疑え」 今考えると昔の人が「うそをついちゃいけません。」と言っていたのはなんか倫理的な話ではなくて最大の武器を教えてくれてたのかもしれないなぁと思ったりもしてます。 なので私は極力、ウソはつかないようにしています。特に自分の気持ちに関しては。私が「美しい」と思っているか? 「おもしろい」と思っているか? 「おいしい」と思っているか? 「好きだ」と思っているか? そんなことは誰にもわからないわけですから偽ろうと思えば簡単にできます。だから実際、自分の気持ちというのは証拠がなくあまりに簡単に言葉で偽ることができるので多くの人は、世辞を言ったり、ホンネを建前を使い分けて生きていたりします。でもこれって結局ウソ、なのですよね。しかしそれってもったいないと思うのですよ。ウソをつかないからこそ生きる言葉ってのも私にはあると思うのです。「醜い」ものには決して「美しい」とは言わない。だから私の「美しい」には価値がある。「つまらない」ものには決して「おもしろい」とは言わない。だから私の「おもしろい」には価値がある。「まずい」ものには決して「おいしい」とは言わない。だから私の「おいしい」には価値がある。「嫌い」なものには決して「好きだ」とは言わない。だから私の「好きだ」には価値がある。私はそう思うし、実際そうありたいと思っています。そして、いつか、私が自分を偽ってでも手に入れたいものができたとき、私はベリトのようにウソをつくでしょう。その時、私が立てた戦略通りになっていたとしたら、どんな疑い深い人でも私のウソを見抜くことはできないと思います。 言葉というのは使い物によっては最大の武器になる。このベリトの悪魔の話は死ぬまで忘れないんだろうなぁ。