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テーマ:多発性硬化症患者です(18)
カテゴリ:難病入院日記
もう入院して3ヶ月が近づいてきた。そろそろ退院しないといけないらしい。
まだ右手を伸ばすと小刻みに震えるし、体のしびれも残っているのだが以前に 比べるとリハビリの成果か、右手で食事も出来るし、字も何とか書けるように はなった。それに・・3ヶ月入院すると病院側にとっては利益が少なくなるらしく、 患者達は半ば強制的に退院を促されるのだった。 私にも婦長さんを中心に退院の日程手続きがとられた。 婦長:「児島リカさん、はい、11月○日に退院日を決めましたから・・」 奥田Dr:「児島さん、1度それまでに外泊して体力を確かめておくのも いいですよ?今度の土日でもどうですか・・?」 私:「・・・でも病院から家までは2時間以上で遠いですし・・・」 私はちょっとしぶったが、主治医も看護婦も熱心に勧めてくるのでしぶしぶ 承知した。土日は病院側の手も減るので患者が少ない方が病院側も都合が 良いというのも理由の一つにあるようだった。 大竹:「リカさん、良かったね~?退院日が決まって・・!私もそのすぐ後 くらいになりそうだよ♪」 退院までの間、大竹姉さんと少しでも体力をつけようと部屋で自主トレを していた。昆布ゴム(リハビリ用ゴム)やボールはもちろんの事、庭に出て 散歩したりもした。 ある時は大竹姉さんがヨガや気功もどきの事も少し教えてくれた。 ヨガの「猫のポーズ」を少しすると背筋が伸びて気持ち良かった。 しかし・・そのポーズが悪かったかどうかはわからないが、ある朝起きる と足が軽くしびれているような気がした。 でも気にするほどでもなかったのでそのまま予定の外泊をした。 久しぶりに電車に乗り、帰り道にその頃流行っていた小さな片手に埋まる 大きさのテトリスゲーム機を買った。手の細かい動きのリハビリになるかも しれない・・と思ったからだった。 そして乗り継ぎの電車の中で、その買ったばかりの「テトリスゲーム」をほんの少し 動かしてみた。その日はよく晴れていて窓に映る外の景色が懐かしく、眩しかった。 (ああ・・もうすぐ退院出来るんだ・・。またこっちの世界に戻れる・・。) もう自分の体が元に戻り、良くなったと思い込んでいた私はそんな風に考えていた。 自宅に帰り、1泊して病院に帰る頃、何となく足のしびれがきつくなったような気 がしたので主治医に相談した。すると上の先生も診てくれたが別段異常はわからない という感じだった。ゴムハンマーでの反射などの感覚検査だけだったが、以前主治医 の奥田Drが「こういう検査で異常がわかるんですよ。それが神経内科というもの なのです。」と自信満々に説明していた事があったのでそれで安心していた。 しかし、何日か経って段々としびれが増し、感覚異常も出てきた。 そして・・トイレの回数も少ないことに気が付き、不安になった。 私:「あの・・やっぱりちょっとおかしいみたいなので退院日を延ばしてもらえませ でしょうか・・?」 すると露骨に婦長が嫌な顔をした。私の後のベッドに入る人がもう決定したから だった。主治医達も一様に困った顔をした。婦長には頭が上がらないらしい。 念の為、尿の量を測ったが少ししか出なかったにもかかわらず、これくらいなら 大丈夫、心配ないと言われた。それでも私が退院をしぶっていると、 「児島さん・・それならまたルンバールとかしないといけないですよ?それに・・ こういうしびれなんていうのは気のせいからっていうのもあるんです。精神的な不安 からもきますしね・・?大丈夫ですよ・・。」 主治医達に私もようやく納得させられて退院日を迎えた。不安感は残っていたが、もう 再発なんてするわけが無いと思いたかったせいもあってか、退院の準備をした。 退院日は母が迎えに来てくれた。帰る間際に大竹姉さんと3人で病院内の喫茶店で お別れのお茶とケーキを食べた。その間も足のしびれが増してきて辛かった。 だから少しよろよろ歩いていると大竹姉さんが別れ際に心配そうに見送ってくれた。 足が少しおかしいのでタクシーで家まで帰った。母も足の事を心配していたが、 「主治医達が皆、大丈夫だと言ってくれたんだから・・きっと大丈夫。」と説明 した。そう、この足の痛みやしびれはすぐ治る・・気のせいなんだ・・。 再発なんてするわけがない・・・。そう自分に言い聞かせて眠りについた。 しかし翌日の朝・・目が覚めた時には私の左足はまったく動かなくなってし まっていた。 *登場人物はすべて仮名です *これは平成8年11月頃の話です (リカの難病入院日記10に続く) 新潟県中越地震被災者支援の募金が無料で出来ます↓ ★新潟地震被災者支援のクリック募金が無料で出来る募金パークはこちら! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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