sotto voce

2011/03/16(水)15:45

あっという間にこういうことになってしまって

最初に揺れた時に、これはえらいことになるのか?と思って怖かった。 経験したことのないような恐怖だったはずだけど、でも初めてではないような気もした。でも思い返して、やっぱりその画像は映画の中か、夢の中しかない。 毎日、これでもかこれでもか、と最悪の事態が報道されて、しかも原発の話は終ったことというよりむしろ始まっていることのようで、これが映画ではなく本当に起こっていることだというのは、やはり不思議だ。 戦争と違って、さっきまで普通だった日常があっという間に違ったものになってしまう。地震の後のこの数日を考えると、この間の3/13の日曜日は電車も動いて晴れていてのどかだった。鷺宮の駅で友達に電話をして友達の子が生意気にも「こっちはだいじょうぶだよーー。」と割り込んできた。偶然行くことになってしまった新宿でもみんなもう地震は終ったこととしてのんびり買い物を楽しんでいた。あれが最後の普通の日だったのかもしれないと思ったりもする。 この状況の中でも、うちの中はいつもと変わらない。練習をしていても災害のことを考えたり、こんなことをしていてよいのだろうかと思ったりした。ここ数日、なんだかすごく疲れた。練習をしながら東北の津波のことを思う。いろいろ予定がキャンセルされていくのもあって、なんだかだらだらしてしまう。でも今夜、災害のことを忘れて楽器に集中して、それまでの心の日常が自分に戻ってきた気がした。 放射能も気になるけど、私は子供もいないし、なんていうか、じゃあどうしても生きなければいけないのかというと、どうかわからない。それでも密かにやっぱり気になることはあって、それを残された時間で形になるかどうかは別にして粛々とやれたらいいなあと思う。そのなかで他人にできることはして、もっと元気に生きられる人をサポートできればいいと思う。 ちょっと気持ちが整理できてきて、焦点がさだまってきたように感じる。 人には、突然襲ってきた非日常の中でも、それをまた日常と意識して、その中で普通に生きていくようなたくましさ備わっているように思う。

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