わかれの時に思う
先日、会社の同僚の女性のお母さんが亡くなりました。同僚は同じ部署では無いものの人柄がよく、よくお話しする人ですから会社から帰ってから、すぐに通夜へと出かけました。本当なら葬儀に出るべきなんでしょうけど日中は仕事がありますからね。通夜への参列で許していただくことにしたんです。夜7時。斎場へは多くの車がやって来ます。でも何度見回しても、会社のみんなの姿はありません。いや、数人の同僚は見つけました・・・・がそれだけ。きっと後になってくるのかとも思ったんですが彼女と同じ部署の社員の姿はありません。そうして通夜は終わりました。聞くところによるとご霊前(ご仏前)だけは出したものの通夜、そして葬儀には参列しなかったそうです。・・・・・・。そういう感じなのかな、同僚って。いや、情に厚い社員も多いんです。でも彼女の部署の人間は少しばかり心が寂しい人だった、ってことなんでしょう。この日、通夜には私を含めて他部署の同僚だけが居ました。通夜の中でのお焼香の時に頑張って涙をこらえていた彼女は他部署の私たちの顔を見てこらえきれずに、大粒の涙をこぼし始めました。きっとね、彼女はそんな同じ部署の同僚のことを知っていて今日は誰も来てくれないんじゃないか、って思っていたのかも知れません。本当に参列していて良かった。寂しい思いをさせなくて・・・・よかった・・・。そう思いました。次の日会社に行ってから参列していた同僚から‘しょうちゃんさん、私はあの部署の人間に対して、人間不信になりましたよ・・・・’って相談を受けました。うん、わかるよ、わかる。でもわかるんだけれども・・・・・それは仕方ない事なんじゃないかな。人は沢山いて、そういう斎事を面倒に思う人も沢山いる。確かに命の話なのに・・・って思うかも知れないけどそれは俺たちから見た場合なんじゃないかな?自分たちは参列したのに、あいつらは出てない。って、それじゃぁ同じだろ?根本的なところで・・・俺もキミも、彼女の身に起きたことだから、そして亡くなったお母さんを弔う為に参列出来たんだからそれでいいんじゃないかな?お坊さんのお話しも心に沁みる話だったじゃない?そう話しました。そうすると‘うん、何か落ち着きました。そうですよね!’って。もうこの歳になると通夜、葬儀を何回も経験してきました。同じような気分になったこともあります。でもその度に亡くなった人が何を教えてくださっているのかを考え直すとそんなことを気にすることが間違っているんだと、ご浄土に旅立たれた人の意志ではないんだとそう思えてくるんです。もう3月。春が来ますね。大切な・・・とても大事に思っていた人は春にご浄土へと旅立っていきました・・・今まで何人も。ばぁちゃん、俺、もうすぐ48歳になっちゃうんだよ。小さいころ、じいちゃんと、ばあちゃんと・・・みんないたころにもう一度戻ってみたいな。ほんと。