カテゴリ:名所旧跡寺院あれこれ
8月29日「人間が失くしたもの...その1」の続きです。
いつも感じることですが、法楽寺さんは私たちが「お参りして手を合わせる気持ち」を本当に大切にしてくださいます。 お寺の方々の対応に優しさと謙虚さが溢れ、「共に神仏に感謝する」という気持ちが伝わってきます。 江戸時代にこのお寺で出家し住職も勤めた「慈雲尊者」は、僧侶の本来あるべき姿を生涯にわたって説き、その教えは「正法律」と呼ばれているそうです。 【法楽寺HPより抜粋:・・・自らが属する宗祖を、まるで仏菩薩や神の化身であるかのように崇拝して盲信するのが常であり、釈尊をすら軽視する傾向にあります。自分たちの宗派を最も優れた絶対的なものとみるあまり、教義的にも体制的にも、非常に偏向的・排他的なものとなっているのです。 釈尊の説かれた戒と律とを守り、実行する者であるならば、仏教における経律に則ったいかなる思想を信奉し、またどの宗派に属しているとしても、誰でも一派同朋であるとしています。 偏向な一宗一派の教義に拘泥し、宗派の祖師を盲信して宗派びいきすることを、強く批判しています。】 不動尊は愚かな仏教徒を叱っているのでしょうか.. 本来あるべき姿...あるべき心...そういったものを失っている。 尊者が批判した仏教宗派・僧侶だけでなく、我々にも当てはまることですね。 護摩木を二本お願いしました。 父と母が健康でありますように... 護摩供を間近で拝見しましたが、すごい勢いのある炎と熱さでした。 汗が額と背中にダラダラと流れてきます。 「護摩行」と言いますが、印を結んで真言を唱えながら一時間以上も護摩木を焚き続けるのは、阿闍梨といえど本当に「苦行」だろうと思ってしまいます。 いかに人のため、自分のため、仏のためでも、生半可な気持ちでは出来ませんね。 ありがたいことです。 9月28日の縁日には、境内で大護摩供が修されるそうです。 是非行ってみたいと思いました。 応援ありがとうございます "^^"v Namah Samanta Vajraa Naam Canda Mahaarosana Sphotaya Huum Trat Haam Maam 紫の雲 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 3, 2009 05:54:45 PM
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