カテゴリ:読書
焼物に関しては門外漢だが、見たり触ったり するのは好きなほうだ。 各地に特徴的な焼物があるが、九谷焼は地元でもあり 身近な存在だ。 なかでも古九谷は格調があり、買うことなどは出来ないが 美術館の常設でいくつかはいつでも見ることができる。 またロードサイドには窯元が店を出している。 いつのころからか、この古九谷が伊万里産という説がでてきた。 確かに外見上は似ているのだが、おいらは古九谷が 伊万里で作られたとは思わない。 ルーツは伊万里のようには思うが。 別に地元びいきというのではなく、個人的には古九谷は別格として 一般の焼物としては、九谷焼よりも伊万里焼のほうが好きなくらいだ。 ただ、古九谷が石川県に偏在していることや、この本にもあるが 最終的な色絵が伊万里に多い登窯では焼けないということなら こんな説を論争すること自体が無意味だ。 今でも日常に使う九谷焼は、素地は岐阜の多治見とかで 絵付けや焼き上げは九谷の町、能美市などで行われていると聞く。 こういうふうに、素地や下焼きは伊万里で行われて 完成品は九谷で作られたものもある、というのはありえると思う。 古九谷は磁器だから、陶器のような素材感というよりも 色や絵で特徴づけられるものだから、完成品をもってして 産地というのではないかなあ。 素人考えだけど。 著者は元高校教員の一般研究家だが、地元の美術品への愛着も あるだろうが、学会のいいかげんな体質に感情も露わに 数々の根拠を並べて糾弾する。 邪馬台国の東大派vs京大派の面子をかけた争いや ゴッドハンドによる捏造、発掘事件を見るにつけ 学会などといわれるものも、必ずしも信頼に足るとは思えなくなる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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