カテゴリ:生活
これ金の純度ではなく、裁判での有罪率。
端数は切ったが、99.9%に近いとか。 要するに、裁判になったら、現状ではまず有罪ということ。 最初から罪を認めたり、放免されたりしていれぱ 裁判などにはならない。 被告が「やっていない」というから裁判になるのだから その結果の有罪率が99%というのは異常ではないか。 ちなみに米国は約73%、英国約50%らしい。 裁判の基本理念は「疑わしきは罰せず」だが この数字見ているとそんな例があるなんて思えない。 雑誌「冤罪File 12月号」を読んでいた。 冤罪File (ファイル) 2008年 12月号 [雑誌] 以前にも紹介したが、タイトルどおり冤罪と思える事件の 経緯を追跡したものだ。 これ季刊だけど、月刊にならないかなあ。 今回冒頭に取り上げている事件は「福井女子中学生殺人事件」。 被告は一貫して無罪を主張しているが、一審は無罪なのに 控訴審では逆転有罪。 これに書かれている経緯が事実なら、デタラメもいいとこの裁判。 検察側の証人(別の事件で拘留中)がまるで「司法取引」を しているのか、裁判の進行にあわせたように証言がころころ変る。 しかも、証拠とされているものに説得力がない。 それでいて裁判官は検察側の意見を次々追認している。 典型的な冤罪事件だ。 ある日何もしていないのに、逮捕され裁判になったら 一般の人は、たとえ警察の拷問まがいの取調べに負け 罪を認めても、最終的には裁判所が公正な判決を下す ものだと思っているのではないだろうか。 ところがタイトルにした有罪率だ。 恐怖なんてものではない。 万が一逆転無罪を勝ち取ったところで、失うものが多すぎる。 来年から始まる裁判員制度にはこういう弊害を是正しようとする 意図もあるのだろうが、裁判員となった人間が、いい加減な気持ち で判定をすれば、とんでもない結果になるのも事実だ。 裁判員に選ばれたら、相当の覚悟がいる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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