471086 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

終活日記

終活日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2020年12月23日
XML
カテゴリ:


U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面 講談社現代新書 / 森達也 【新書】
著者の森達也は、映画監督であり、作家でもある。主にドキュメンタリーが専門であり、毎年各ドキュメンタリー賞の受賞作が、NHKのBSでまとめて、放映されているが、録画して見ている。それのコメンテーター務めてたりもする。作品では、菅首相の天敵、毎日新聞の望月女史に密着取材した、ドキュメンタリーを見たが、字面のイメージと違った彼女が見られて、面白かった。

本書は、2016年、相模原の障がい者施設 「やまゆり園」で、植松聖が起こした、19名という大量殺人事件に対する考察である。
事件も異常なら、植松という人物の言動も異常なら、裁判の経緯も異常で、本人が控訴しないまま、短期間で死刑判決で、結審した。
このまま行けば、本人が死刑を望んだ、池田小事件の宅間守の時のように、死刑執行も早いのではないか。

冤罪の心配はない、国民感情も問題ない、責任能力も御用学者の判定利用し、本人が控訴しなければ、それで手続きは終わり。この事件も解決。という訳にはいかんだろう。
事件の本質は何も分からない。
新聞やテレビの報道でも、一面的に伝えるのみ。
そういう意味でも、自身の面会や手紙のやり取り、60回も面会している、同じジャーナリストの篠田博之への取材などによる、ドキュメンタリー映像作家として視点は興味深い。共感する部分もあり、意見を異にするところもある。

この事件に限らず、平成の時代になると、異常な、しかも多人数の殺人事件が突発した。しかし、無期、死刑を分ける基準が、昭和の永山裁判の殺害者3名が、判例として利用されるが、それでいいのだろうか?
何でも、時代や社会のせいにしたくないが、形態は似ていても、背景には、それらが影響しているのは、間違いないだろう。
弁護する側も、責任能力で争うしかないのでは。それにしたところで、旧来の精神分析の、類型化したパターンとは、必ずしもマッチはしない可能性もある。

この事件に興味を持ったのは、異常性もそうだが、植松と言う、人格なり、動機に関連する思想だ。
「意志疎通の出来ない障がい者は、生産性が悪いから、生きている意味がない」と言う持論は、今でも変わらないらしい。
犯行の際も、脅した職員に、対象の障がい者が、話せるかどうかを確認して選別したうえで、行っている。
しかし、意志疎通は喋ることだけではなく、動作や表情でも可能だ。

個人が、短絡的な思想というか、思い込みで、他人を殺すという行為に
正当性など有ろう筈がない。
コロナに翻弄されている、令和2年の年の瀬。
暗い気持ちで、病院のベッドで書いている。
スマホでの入力は、疲れる😣💦⤵️





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2020年12月24日 10時31分59秒
コメント(0) | コメントを書く
[本] カテゴリの最新記事


PR

カレンダー

ニューストピックス

フリーページ


© Rakuten Group, Inc.
X