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カテゴリ:ももとポエム
「荘周の夢で蝶になったのか、蝶の夢で荘周になったのかはわからない。」荘子
胡蝶の夢 昔者、荘周夢為胡蝶。 栩栩然胡蝶也。 自喩適志与。 不知周也。 俄然覚、則遽遽然周也。 不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。 周与胡蝶、則必有分矣。 此之謂物化。 昔者、荘周夢に胡蝶と為る。 栩栩然として胡蝶なり。 自ら喩しみ志に適へるかな。 周なるを知らざるなり。 俄然として覚むれば、則ち遽遽然として周なり。 知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか。 周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。 此れを之れ物化と謂ふ。 昔、荘周は夢で蝶になった。 ひらひらとして胡蝶そのものであった。 自然と楽しくなり、気持ちがのびのびしたことだった。 自分が荘周であることはわからなくなっていた。 にわかに目覚めると、なんと自分は荘周であった。 荘周の夢で蝶になったのか、蝶の夢で荘周になったのかはわからない。 しかし、荘周と胡蝶とには、間違いなく区別があるはずである。 こういうのを、「物化」というのである。 http://members.jcom.home.ne.jp/diereichsflotte/LaoChuang/DreamOfButterfly.html 夢と現実とがはっきりと区別できないこと、またその区別を超越できないことのたとえ。中国、戦国時代の思想家荘子が、蝶となった夢をみ、目覚めたのち、自分が夢のなかで胡蝶に変身したのか、胡蝶がいま夢のなかで自分になっているのか、と疑ったと伝える『荘子』「斉物論」の故事による。転じて、人生のはかないことのたとえともされ、「胡蝶の夢の百年目」ということばもあるが、これは、人生を振り返り、夢であったかのように思うこと、死期が迫ったことに驚いて後悔することのたとえとなっている Yahoo!百科事典より 非常にロマンティックで~奥深い ファンタジックなポエムですよね~~ この美しい言葉に触発されて~たくさんの作品が 作られているのも頷けます~ 人気ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2020.02.07 17:32:17
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