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Fu.Ta.Tabi.

スリランカの旅 4

スリランカの旅


スリランカ 9
<ゴール>
ゴールはスリランカ南端に近い町で、コロンボから列車で東南海岸沿いに3時間で到達する。かつてゴールにはポルトガル、オランダ、イギリス人が、時代を違えて滞在した。西洋人の出現はこの順番で、オランダ人は1656年から1796年まで居た。

ゴールの新市街の南側に、周囲に堅牢な城壁を持つ旧市街が残されている。旧市街にはオランダ時代に建てられた教会や建物が残る。

昨年のスマトラ島沖大津波でスリランカの南海岸は大きな被害を受け、死者3万人余を出した。この地域の住民の5~20%に相当する。海岸には今も破壊されたままの住宅、内陸部には仮設住宅が並ぶが、ゴールの城砦都市は、堅牢な城壁のため、ほとんど被害が出なかった。

17・18世紀に、オランダはスリランカ海岸部の20都市を支配し、城砦を築いた。アフリカ南端の喜望峰を越え、マダカスカル、モーリシアスを経て、ジャワへ向ったが、スリランカはその中間点にあり、寄港地として好都合であった。また、スリランカからは、ちょうじ、ナツメグ、胡椒、シナモンなどを輸出した。
スリランカ 10
<マータラ、ヴェリガマ>
ゴールから東へ列車かバスで1時間半のマータラも、かつての河口の砂洲の先端がオランダ人居住地であった。オランダ時代の星型の城砦、スター・フォールトが残る。

ゴールとマータラの中間点にヴェリガマがあり、ここには龕(がん)に入った磨崖仏がある。クスタラージャという名のこの磨崖仏は身長3m程度で、8世紀の作と言われる。王はこの石像が不思議にも皮膚病を治したと記載している。日本でも病を治す仏像は各地に存在するが、スリランカでも同じ状況である。
スリランカ 11
<コロンボ>
コロンボは一般的な治安に問題がある他、テロも筆者入国二日前に起きたので、長居しなかった。

コロンボ・フォート駅(中央駅)から徒歩7分の便利な場所に、オランダ時代博物館があり、この施設だけを訪問した。1780年に建てられ、オランダ市庁舎、邸宅、病院、孤児院、警察署、消防署などの建物として利用された。表通りに面したギリシア建築を模した建物を入ると、内部に井戸のある中庭があり、その3辺は背の低い建物で囲まれている。これは明らかにオランダのホフイエと呼ばれる困窮者収容施設(病院の原型)を模したものである。17世紀頃からオランダのライデン市やハールレム市に創設されたホフイエの原義は、小庭という意味で、井戸と日時計を備えた矩形の小庭を囲んで背の低い長屋が並び、困窮者を収容した。

展示物も興味深く、オランダ時代の家具、チェスト、本箱、椅子、食器、史料などが展示されている。英語の説明文が少ない点が難点である。

1789年に発生したフランス革命の影響下に、1795年に親フランス色の強いバタビア共和国が成立し、オランダ連邦共和国は崩壊、オランダ総督はロンドンに亡命した。オランダの植民地はイギリスに移譲されたが、その際、スリランカも1796年に平和裏にイギリスに移譲された。イギリスはその後スリランカ王朝を滅亡させ、1948年までこの国を支配した。現在のスリランカ人のイギリスへの反感から、その前に支配したオランダへの郷愁があるようで、この博物館のオランダ人観は好意的である。
スリランカ 12
<ニゴンボ>
ニゴンボはコロンボの北50キロ、バスで1時間半の漁村で、やはりオランダ人の城砦があった。現在は刑務所になっている。最近は海浜リゾートとなっている。コロンボ空港にいちばん近い町で、そのためここに宿泊した。

スリランカの格安宿舎はゲスト・ハウスで、民家の1室に宿泊する(大規模なゲスト・ハウスは、ミニホテル)ものであるが、その上のクラスの宿舎にレスト・ハウスがある。レスト・ハウスはオランダ時代に建てられた。なお、最上の宿舎はホテルである。

ニボンゴではニュー・レスト・ハウスに泊まった。エアコン付きで室料1800円の安宿ではあるが、エリザベス女王が1958年にお泊りになった宿舎であるという。確かに格式があり、従業員も安宿としては多く、格安の宿にはないバーも備えられている。

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