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テーマ:読書の愉しみ(1056)
カテゴリ:詩とやまと歌と
9月19日は正岡子規の命日、糸瓜忌です。「糸瓜」は子規が最期に残した俳句3首から命名されました。 ![]() 子規庵の句碑から。 ![]() をととひのへちまの水も取らざりき 糸瓜の水は、糸瓜の茎を切って取ります。咳止めや火傷の治療に使われました。子規の場合は、咳と痰切りのために服用したのでしょうが、亡くなる直前にはもう、糸瓜の水もとらなかったなあ、痰が出すぎて糸瓜の水も間に合わないくらいだ…と。 ![]() 子規は慶応3年生まれ。明治29年に子規庵で句会を開催、31年には歌会を開催しています。33年に大量の喀血をし、35年9月19日に死去しました。 明治31年12月15日~書かれた『雲の日記』は、まだ元気だったころの著作です。 空青くして上野の森の上に白く薄き雲少しばかり流れたる。いと心地よし。われこの雲を日和雲と名づく。午後雨雲やうやくひろがりて日は雲の裏を照す。散り残りたる余所(よそ)の黄葉淋しげに垣ごしにながめらるる。猫のそのそと庭を過ぐ。 何気ない「写生」ですが、歌人・俳人らしい文章だなあと思います。 子規は、絵が好きな人でした。絵を習ったこともありますし、洋画・日本画論争についても記述しています。実際病床で筆を執った植物のスケッチも残っています。 ただ、本人が満足する腕ではなかったようで、絵が描けたら自分は俳句など作らなかったと言っています。 おかげで、私たちは、子規の文章を介したスケッチを味わえることになりました。 ![]() *写真はいずれも子規庵にて。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 19, 2025 12:00:16 AM
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