■◇したがう「随」と「遵」◇■
随…ズイ、したが(う)遵…ジュン 「随」は「随行」のように人に従う、お供するの意味、「遵」は「遵守」から見る通り、法やきまりに従う意味になります。 歴史で習う「遣隋使」の「隋」は、「隨」(「随」の旧字)とも書きました。「隋」は581~618年の中国の国名です。倭国から隋へ、技術を収得するため派遣されたのが「遣隋使」です。遣隋使、遣唐使は大阪、住吉大社で安全祈願をして出航になったそうです。 平安文学には「随身」(=貴族の外出に伴って警護に当たった近衛府の官人)がよく登場します。 枕草子に「雑色(諸家に召し使われる者)、随身は、すこしやせて細やかなる」(雑色や随身は、少しやせ気味のすらっとした人がふさわしい)「をのこはまた、随身こそあらめ」(男子の下仕えでは随身が一番似つかわしい)と言われています。 清少納言の私見ですが、公の場で貴族に付き従う派手やかな役割の職への思いが見られます。 「遵」は最近だと「コンプライアンスの遵守」という形でよく目にします。「コンプライアンス」は元々は法令遵守でしたが、より広く倫理、社会的なルールを守る意味になってきました。