゜〇美しいときは短く〇゜梶井基次郎『冬の日』
肺を病み血痰が続く尭(たかし)は、生きる気力を失い、引きずられるように生きていました。 『冬の日』は、主人公、尭に結核の症状が顕著に出てきたころの心象を、冬至に向かう自然・社会風景を背景に綴ります。 日常の風景と同期化したように尭の心象が語られますが、尭はときに自分の肉体から抜け出して自分の姿を客観的にみつめ、ときに追憶・空想と現実の間を行きかう、厚みのある構成です。それでいて文章は重くありません。路上のどんな小さな石粒も一つ一つ影を持っていて、見ているとそれがみな埃及(エジプト)のピラミッドのような巨大(コロッサール)な悲しみを浮かべている。 妹も弟も結核(脊椎カリエスと腰椎カリエス)で亡くなっていて、今また自分も。自分だけの悲しみだけでなく、母の悲しみも察せられ、悲しみは増すばかりです。 尭は、落日に燃える雲に心慰められるのですが、残り火が消えるときふと考えます。「こんなに美しいときが、なぜこんなに短いのだろう」 1つ1つの石の影に悲しみを見るシーンも、最後のほうのこの言葉も、「かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳(かげ)らひにけり(前登志夫)」の歌を思わせます。明るい時があったからこそ、その次に来る暗さはいよいよ深く感じられます。 筆者の基次郎自身が結核で、『冬の日』発表の5年後に亡くなっています。31歳での永眠を考えると「こんなに美しいときが、なぜこんなに短いのだろう」の言葉は心に響きます。 引用および参照元:梶井基次郎『檸檬・ある心の風景他二十編』旺文社文庫