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桜井ジャーナル:マスコミが報道しない事実    ―見えない「帝国」の闇 【非公式情報】    

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2006/05/25
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話題の小説/映画『ダ・ヴィンチ・コード』で悪役を務めているのがオプス・デイ。スペインの司祭、ホセマリア・エスクリヴァ・デ・バラグエルが1928年に創設したカトリック系の組織で、設立当初はスペインに本部を置いていた。

そのスペインでは1936年2月に人民戦線政府が成立するが、この政府の打倒を目指して同年7月にモロッコで反乱を起こした人物がいる。フランシスコ・フランコだ。ナチスの支援を受けた彼は内乱で勝利、1975年に死ぬまで独裁者としてスペインに君臨した。そのフランコとオプス・デイは友好的な関係にあった。

1949年にオプス・デイはアメリカへ進出している。アレン・ダレスがCIA長官に就任した1953年になると、中米のグアテマラ、1958年にはエルサルバドル、そして1959年にはコスタリカに入っている。

ところで、1950年11月にグアテマラでは総選挙が行われ、ヤコボ・アルベンス・グスマンが勝利、翌年の3月に大統領となっている。この地域を支配していたアメリカ系多国籍企業、ユナイテッド・フルーツ(後のユナイテッド・ブランズ)とCIAは協力してグスマン政権を倒すことにした。彼らがクーデターを始動させたのはオプス・デイがグアテマラに入った1953年のことだ。

その翌年にグスマン政権は倒され、数千人が「共産主義者」の疑いで逮捕され、その多くが殺害されている。グアテマラのクーデター政権を含むラテン・アメリカの軍事政権とオプス・デイは友好的な関係を続け、軍事政権に批判的なカトリック系団体、イエズス会とは対立することになった。

ポーランド出身で「反体制労組」の連帯を支援していた前の教皇、ヨハネ・パウロ2世がオプス・デイと緊密な関係にあったことも有名な話だ。教皇に就任する前、後のヨハネ・パウロ2世はローマにあるオプス・デイのセンターで定期的に講演会を開いていたと伝えられている。

教皇に就任してからヨハネ・パウロ2世はアメリカ政府と手を組み、東ヨーロッパに対する秘密工作を展開している。この辺の事情はカール・バーンスタインがタイム誌で詳しくレポートしている。

東ヨーロッパにキリスト教国家の樹立(神聖ローマ帝国の再建)を目指していた組織としては、インターマリウムが知られている。バルト海からエーゲ海までの地域をキリスト教国家として統一しようというわけである。その境界線上にあったのがユーゴスラビアだ。モンテネグロの独立、コソボ紛争の背景として頭に入れておく必要がある。

インターマリウムの関係者は戦後、ナチの残党を秘密裏にラテン・アメリカへ逃がしていたが、この秘密工作にアメリカの情報機関が関係していたことも明らかになっている。ラテン・アメリカでオプス・デイとインターマリウムは一緒になっているように見える。

ただ、バチカンではオプス・デイのほかにもフリーメーソン系の非公然結社P-2なども暗躍、教皇パウロ6世がアレン・ダレスと緊密な関係にあったことも広く知られている。まさに魑魅魍魎、オプス・デイだけに目を奪われてもいけない。

ところで、ラテン・アメリカの話にしろ、バチカンの話にしろ、『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』の中で詳しく書いてあるので、是非御一読を。





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Last updated  2006/05/25 05:42:09 PM
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