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桜井ジャーナル:マスコミが報道しない事実    ―見えない「帝国」の闇 【非公式情報】    

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2006/05/29
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十字架に掛けられて死んだイエスが生き返ったと本当に信じているグループが存在しているとしたら、ヨハネの黙示録で描かれた『最終戦争」を待ち望んでいる人たちがいるならば、それはカルトである。

歴史を少しでも学んだことのある人ならば、『ダ・ヴィンチ・コード』でショックを受けるようなことはないだろう。だいたい、その内容は20年以上前、1982年に出版された『聖なる血脈と聖なる杯』に「大きく依存」しているわけで、今、騒動になっているのは不思議な気がする。

『ダ・ヴィンチ・コード』でも「イエスの妻」だったマグラダのマリアがイエスの子とヨーロッパへ脱出したとしている。が、コーランによるとイエスは処刑されていないわけで、子供がいたという程度の話で驚いてはいられない。

さて、その「イエスの子」との絡みで小説に登場するのが11世紀後半に創設されたシオン修道会。『ダ・ヴィンチ・コード』では同修道会の役割として、マグダラのマリアの墓を守ること、イエスの血脈に関して書かれた文書を守ること、そしてキリスト教の血脈をまもることを挙げている。勿論、この小説が最初にこうした話を最初に言い出したわけではないが。

シオン修道会が12世紀初頭に創設したテンプル騎士団は十字軍の一員としてパレスチナへ遠征し、何らかの重要な情報を入手したと言われている。そもそも、十字軍はイスラム世界の財宝と知識を奪い去った強盗団だった。そうした略奪が、14世紀から16世紀にかけてのルネサンスにつながったわけである。

ところで、ルネサンスの代表的人物のひとりがレオナルド・ダ・ヴィンチ。実は、この天才が1510年から1519年にかけて、つまり宗教改革の時代にシオン修道会のグランド・マスターを務めたとする文書が存在する。1691年から1727年にかけてはアイザック・ニュートン、1844年から1885年まではヴィクトル・ユゴー、1885年から1918年にかけてはクラウデ・ドビッシー、1918年からはジャン・コクトーがグランド・マスターだったというのだから驚く。もっとも、自分たちの結社を宣伝するため、歴史上の有名人を名簿に載せてしまうことも少なくないようなので、本当かどうかはわからないが。

テンプル騎士団は確かに存在していた。ルネサンスの前、この騎士団が高利貸しや手形業で巨万の富を築いたことは有名な話だ。多国籍企業の祖だと言う人もいる。が、筆者の記憶が正しければ、当時のキリスト教会はイスラム教と同じように、利息で儲けることを禁止していたはずである。テンプル騎士団は本当にキリスト教を信じていたのだろうか?

その後、テンプル騎士団はヴァチカンなどの弾圧を受けて解体されるが、フリーメーソンの中に潜り込んで生き延びたという人もいる。フリーメーソン側が「権威付け」のために、こうした話を広めている可能性もあるので断言はできないが。

テンプル騎士団がイエスの血脈を守っていたのかどうかはわからないが、彼らが金融業を世界に広め、庶民から富を奪い取る近代的なシステムを生み出したとは言えそうだ。グローバリゼーションもその延長線上にある。





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Last updated  2006/05/29 11:35:31 AM
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