本のタイトル・作者
ムスコ物語 [ ヤマザキ マリ ]
本の目次・あらすじ
ハワイからの電話
おかえりデルス
ナシーブとデルス
イルカと少年
キューバの赤ちゃん
ババとチェロ
新しい家族(前編)
新しい家族(後編)
沖縄生まれ北海道育ち
エリート校か現地校か
トムに会いたい!
家族のカタチ
デルスの旅
親離れ子離れの距離感
息子の看病
ラーメンかタコかお坊さんか
思い通りにはならない
地球の子供
引用
自分が入念に思い描いた子育てという筋書きを何がなんでも達成したがる母親は、予期せぬ人生の顛末を推し量ろうとはしない。私が思うに、子育てに欠かしてならないのは、たとえ子供に対してどんな理想が芽生えようとも、あらゆることが未来では起こり得るという覚悟を備え持つことと、母親という立場からいったん離れて、自分の力で自らを満たす術を持たねばならないことではないだろうか。親の決めた方向に進まなくてもよいことになった子供は、それまで気がつくこともなかった思いがけない自分の才能を自由に開花させることもできるようになるし、何より親を満足させるために生きなければならないという大きな負荷からの解放は、そのまま人生の謳歌へと繋がっていくだろう。
感想
2022年119冊目
★★★★
面白かった。
日本の定義狭量の「子育て論」みたいなものに辟易している人にお勧め。
ヤマザキマリさん、私は『テルマエ・ロマエ』から知り、その後いろんなところでコラムやら対談でお見かけするので、「このひとはいったい何者なのだろうか…」と思っていた。
その謎が解けた一冊。
留学中のイタリアで同棲していたイタリア人詩人との破滅的関係。
ボランティアに向かっていたキューバで妊娠。ひとりで出産し、日本へ帰国。
イタリア語の講師、テレビキャスターなど、様々な仕事をこなしながら息子を育てる。
その後イタリア人大学生と結婚。
小学生の息子を連れシリア、イタリア、ポルトガル、その後アメリカに移り住む。
波乱万丈の人生。
そしてそれに翻弄された息子の物語。
息子さんが達観したところがあって、大人びていて、
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー [ ブレイディ みかこ ]
の息子さんを思い出した。
複数の文化に触れて育つと、みんなこんな良い子になるのか(違)。
結局、「私の子育てはこれでよかったのだ」と言えるのは、結果論なのだろうけど。
私は第一子を妊娠した時、産婦人科の待合室に置かれていた「たまひよ」を手に取り、「私はこの世界に馴染めずこどもを産むのだな」と怖かった。
今・ここで共有されている当たり前が、私にはどうしようもなく受け入れがたく、「母親になるのだから」や「母親になったら」のすべては途方もない違和感を持って押し寄せた。
けれどきっと、私は努力をしないといけない。
だって私は、お母さんになるのだから。
だってみんなが正しいというのだから。
それが求められていることなのだから。
そんなとき子育ての比較社会学の本を読んで安堵した。
そんなものに拘泥しなくていい。
正しいことは、時代と場所によって変わる。
それだけを絶対の価値観のように思わなくていい。
現代日本の当たり前は、今この時しか通用しない。
考えろ、自分の頭で。たくさん学んで。
かき混ぜて、選び取れ。その子をよく見て。
私は私しかおらず、私の子はその子でしかない。
その気付きはどんなにか、私を心強くさせただろう。
これは「母から見た」『ムスコ物語』であって、だから私はその逆が心配だった。
あとがきにかえて、『ハハ物語』があり、息子さん自身の弁があって、やっぱり母親がこう思ってたけど違う、とか、反論の余地が本書の中にあって良かった。
一方的な物語を流布されることほど辛いこともない。
母親を失うということ [ 岡田尊司 ]
(
2021年6月に読んだ本まとめ/これから読みたい本)
の時に、片側から語られる物語の非対称性、不平等性の理不尽を思った。
親の「良かれ」と子どもの「良かった」は違う。
その逆もまた、然り。
家族だから言えないことも、ある。
ヤマザキさんの息子さんは、とても素敵だ。
広い視野、優しい心、賢い(これは勉学ということではなく)頭。
学歴でなく、それは親が「こうあってほしい」と願うこと。
だとしたら彼は、その通りに育っているのじゃないかしら。
自分の子供に、何が出来るかな。
そう思うときに、己の力量を思う。
世間の当たり前を前に、胸が軋むこともある。
それでも私は、膨らんだお腹を抱えながら本を読んだときのことを忘れない。
私は私しかおらず、私の子はその子でしかない。
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生贄探し 暴走する脳 [ 中野信子×ヤマザキマリ ]
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妄想美術館 [ 原田マハ×ヤマザキマリ ]
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