書名
リスペクト R・E・S・P・E・C・T (単行本) [ ブレイディみかこ ]
引用
「親子で路頭に迷うっていう切羽詰まった状況のときに、そんなに時間がかかって融通がきかないものにお願いしてもしょうがないだろう。アナキズムはお願いしない。そもそもお上にお願いするってことは、われわれを支配してくださいって言ってることと同じだからね。アナキズムはそうじゃない。自分たちで始める。自分たちの問題を自分たちで解決するんだ。まさにトイレの故障みたいなもんだよ。誰かに来てもらって修理して貰わないとどうしようもないと思い込んでいるから、オロオロして高い修繕代とか払って誰かが来るのをじっと待つんだろ。自分自身では解決できないと信じているからだよ」
感想
2014年、イギリス・ロンドンで実際に起きた話をベースにした物語。
2023/08/25放送の「高橋源一郎の飛ぶ教室」で著者御本人が登場され紹介されていた。
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【飛ぶ教室】「きょうのセンセイ~ライター・作家 ブレイディみかこさん~」
「ザ・サンクチュアリ」というホームレス用のホステルに住んでいたシングルマザーたちは、ある日退去要求を受け取る。
行政は、2ヶ月のうちに施設を出て、家族も友人もいない地方に移住しろと言う。
一方で、ロンドンの公営住宅は高級住宅街に再開発するため、空き家だらけーーー。
彼女たちは、無人の空き家を占拠する。
その活動はやがて様々な人の支援を集めるようになる。
立ち上がった若き母親たちと、彼女たちを助けるかつての活動家・ローズ。
ロンドン駐在の新聞記者・史奈子と、彼女たちの活動を取材するため日本からやってきたアクティビストの元彼・幸太。
物語には大きくこの2つの筋があって、占拠の場で交錯する。
私は、史奈子の立場に自分を重ねて物語を見た。
貧困を知らず、ぬくぬくと育った私は、ほんとうの意味でその問題を理解できることはないのかもしれないと思って。
ただ、運が良かっただけ。
その幸運を「努力が足りない」と振りかざす暴力。
この本を読んでいて、ずっと感じていることを思い出していた。
アナキズムというと、なんかこう反骨精神あふれる危ない過激派の活動という印象を受けるのだけど、実際のそれは、幸太が言うようなことなんじゃないか。
「自然にまっとうに自分たちでできることを、できないって思い込めば思い込むほど、支配する者たちの力は強大になる。おまえらにはトイレ一つ直せないんだから、俺らに任せとけって勝手になんでもかんでも決めるようになる。そうやって権力は、俺らが、つまり人間が本来持っている力を削いでいくんだ」
・ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室 [キャスリーン・フリン]
・ぼくはお金を使わずに生きることにした [ マーク・ボイル ]
・「山奥ニート」やってます。 [ 石井あらた ]
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2021年6月に読んだ本まとめ/これから読みたい本)
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ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた [ 斎藤幸平 ]
・
ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした [ マーク・ボイル ]
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家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択 [ 稲垣えみ子 ]
・
週末の縄文人 [ 週末縄文人(縄・文) ]
・人類学者と言語学者が森に入って考えたこと [ 奥野克巳 ]
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2023年12月に読んだ本まとめ)
こういう本に惹かれて、こういう本をよく読んでいる。
テーマがそれぞれ異なっているように見えて、私としてはそれから一つの同じ「問」と「解」を受け取っているような気がしている。
私は、自分ができないことが山程ある世界で、それをおかしいと思っている。
もっとできたはずのあらゆることが失われた世界で、それを取り戻したいと願っている。
そしてその「失われた(あるいは、奪われた)」のは、「資本主義」というものが原因かもしれなくて、だとしたら
ミニマリストに憧れるのだって、同じ理由なんだろう。
できないことを、できるように。
なくても、生きていけるのだと、証明したい。
与えられるものだけを口を開けて待っているだけでは、永遠にお腹は空いたままなのだ。
本当に出来ないんだろうか?
誰かにそう、思い込ませられているだけなんじゃないか?
自分たちで始めて、自分たちで解決できることが、あるんじゃないか?
そしてそこには、必ずしも「お金」という交換対価が必要ではないのではないか?
そこにあるのは、リスペクト。
シングルマザーの彼女たちが求めたもの。
彼女たちに賛同した人々が求めたもの。
彼女を取材した史奈子が気づいたもの。
リスペクト。
この本の中で、役所に押しかけたシングルマザーたちに、役所の人間が「我々をリスペクトしてください」と要求していることが驚きだったのだけれど(そして彼らはシングルマザーたちをリスペクトしていないわけなのだけど)、この本のタイトルにもなっているそれを、日本語ではなんと言葉にしたらいいのかと考えていた。
尊敬?ちょっと違う気がする。下から上を見上げるような。
尊重?でもそれだと、相手をただ一方的に優先するイメージがある。
配慮?それは逆に上から下へと見下げている。
考えていて、「あなたがあなたであり、そこにいること」ではないかと思った。
存在への敬意。
立場ではなく、金銭ではなく、能力でもなく。
生きていることそのものへの、肯定。
お互いに認識しあい、「あなたも私も生きている」と確認しあうというか。
英和辞書を見ると、「注意、関心」や「丁寧な挨拶」という訳もあった。
それもまた、相手を認識して、そこにいることに対して反応することだ。
リスペクトがずたずたにされた世界で、それでもその千切れたリボンの端っこを手に。
その先に結ぶことが出来る誰かを、何かを、私たちは探しているんじゃないか。
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