320life

2024/06/10(月)06:56

マシュマロお返事まとめ

ブログ運営(34)

匿名メッセージ「マシュマロ」 先日、匿名で送れるメッセージ「マシュマロ」をブログに設置しました。 匿名で送れるメッセージ「マシュマロ」でノマへコメントを送れます ↑これ。 で、「感想ください!!」アピールをうざくしていたら、優しい方にマシュマロ(メッセージ)を頂きました。ありがとうございました。 お返事もしていたんですが、「この返事って書いてくれた人に読めてるんかな?」と分からなかったのでブログにも掲載しておきます。 ちなみに、1メッセージにつき1,000字(返信文字数上限)ぴったりでお返事しています。重い。 マシュマロとお返事 ありがとうございます! 残業帰りに通知が来ていて、すごく元気が出ました。 以前から読んでくださってる方がまだいてくれたなんて嬉しいです。 ネットの大海へ消えていく藻屑のような心境で書いてたので、そこに誰かいると分かるだけでとても元気が出ます! 言われてふと、頑張りすぎなんかなあと思いました。 カラカラ回し車を回し続けるハムスターみたいに。 回し始めるともう止まれないし、「私こんなに頑張ってますから!」とアピールしてしまってウザいです。 基本ベースがマイナスで、それをなんとかゼロにするためにやってる、みたいなとこあります。 そしたらみんなと同じ、ふつうになれるんじゃないかと。 逆に言うと、「頑張っていないと普通になれない、足りないところだらけの穴が空いたままの欠陥品で、無価値だから誰からも欲しがられないし相手にされない」という自己認識です。歪んでますねえ。 「頑張るから、批判しないで」 「頑張るから、嫌いにならないで」 そしてそれは「どこまで頑張れば、認めてくれるの」という怒りと不満になる。 どこまでいけば、赦されるの。 私はこんなに頑張っているのに。 でも同時に、自己陶酔もしている。 私はこんなに頑張っているでしょ? 他の人より、優れているでしょう? ほら、だから私はすごいでしょう? 価値があるように、見せたいんですよね。 でもそれがハリボテの金メッキだと知っているから、いつも化けの皮が剥がれることを恐れている。 人に近づきたくない。正体を見破られたら怖いから。 私の中身が空洞だとばれるから。 他者との比較でしか自分を測れず、優劣の中で自分を持ち上げてかりそめの居場所を確保する。 むなしいなあ、それは。 勝ち負けはどこにもないのにね。 歳を重ねて、自分を赦せるようになってきて、でもそれでもまだ、そこが一番の自分の核になっているのだなと改めて思いました。 溶けない氷。 でもそれならそうと、それを抱いたまま生きていくしかない。 子供の頃からずっと模索し続けて、今もその途中です。 頑張らなくていい、ありのままでいい。 それは私には「存在価値のないお前を曝け出せ」という意味と同じになる。 でも、せめて他者のためではなく、自分のために頑張ることが出来たらいいな、と最近は思っています。 マシュマロありがとうございます!いやあ、言うてみるもんですね。 検索から!それは遥々遠くからようこそ!「ニュースで学ぶ現代英語」素晴らしい番組ですよね。毎週毎週書きながら「この絶海の孤島のようなブログを私以外に誰が読むねん」という気持ちになっていたので、やる気が漲りました。 「大学生なんですね、若くて羨ましいです」と、世間一般の年上世代からの陳腐で空疎な定例句を書こうとして(それがなんとなく礼儀のような気がして)、ふと私はさして羨ましいと思ってないなと感じました。だからそれを書くのは嘘だし失礼だなと。 若さは相対的なものだから、あなたと私の若さは歴史の教科書の生没年がずれて表示された横長の棒みたいなもんで、端っこ揃えたらそこの長さ変わらない。それを先輩ぶって「若いっていいわね!」と定型的な台詞に込める傲慢さというか。その逆も然りで。60くらいの方に「若いって〜」と言われたら、上から目線を感じつつ、私はちょっと良い気になってた気もして。だから何やねんって話なんですが。この下り自体に若者いじりのマウントみを感じる!若くてたっぷり未来があることなんて全然羨ましくないんだからねっ!(笑) でも、「自分の時間がすべて自分のものであること」は単純に良いなと思います。しかしそれは「それをどうとでも出来ること」の自己制御と表裏一体ですもんね。言うならば、水道光熱費込の家賃払ってる場合に、エアコン我慢してお風呂にお湯沸かすのやめてシャワーだけにはしないよね、っていう。どうしても無駄遣いしちゃう。 追い込まれてやるの、同じです。ギリギリでいつも生きていたいのか。これってどうしたら直るんやろうと思い続けてはや37年。要するに面倒くさがりな自分の性格をなんとか手懐けて懐柔してやっていくしかない、こればっかりは。こんな自分でもできる方法を常に試していくほかない。 動画やネットはエンドレス、分かります。後で虚しくなることがわかっていても、悔やむことがわかっていても、やめられない。口寂しいというか、心がスカスカしているときに、私はよくなります。「これは脳の乱数処理だ、いやなことを初期化するために限界までジャンクデータを入力してるんだ」と思ってます。必要な感情の初期化です! 簡単に中毒になっちゃうので、私はよくアプリやアカウントごと削除しています。すぐ再登録するのに。 はじめてのコメントありがとうございます! このブログから「ニュースで学ぶ現代英語」を知ってくれたなんて嬉しいです。良コンテンツですよね。 NHK講座を選ぶ時、けっこうみんな書店でテキストをぱらぱら捲ってみて、巻末あたりにある講座のレベル表も見ながら決めると思うのですが、「ニュースで学ぶ現代英語」は載ってないんですよ!テキストないから!圧倒的PR不足…!(NHKラジオ聞いてると、「ニュースで学ぶ現代英語」のPRCMが流れたりもするんですが) 私はレベルとしては「ビジネス英語」あたりなのですが、どーっしてもあの仕事感が嫌で、「ニュースで学ぶ現代英語」が開始した時嬉しかったです。放送毎回すごくためになるし。ニュースも知れて一石二鳥(大好きな言葉)。一粒で二度美味しい。 というわけで、学友、級友、クラスメイト!ラジオ講座の視聴者同士って、通信制の高校や大学みたいなクラス感というか、同朋意識があって好きです!朋友! 勉強法は、え、どれ?書写?書き込み?音読?反訳? 反訳が習慣化しないし、いまだに良い方法が見つけられず模索中なので、「このやり方が良かったよ!」があればぜひ教えてください! 1日が24時間なのは皆同じ、それでどう過ごすか。ハーマイオニーの「時をひっくり返す時計」があればよいなと思う! 生きることは爪を切ることまでセットなんだぜ、と確か糸井重里氏が言っておられた。 たくさんのいろんなもので埋まっていく日々の中で、そこにポンと英語を置いて。 これをやりたいと思ったのは私、やると決めたのも私、やるのも私、やらないのも私。 俺よ、俺はこんな俺を許すのか? いつか英語の本が日本語のようにすらすらと読めるようになればいいなあ。 そう思いながら、私は今日も、その一歩を進んで、そのひと粒の種を植えているだけ。 ブログは…やめると、言葉の内圧が高まってパーン!と中から爆発しそうになってしまうので、言葉のガス抜きに必要な場所なんだなと思います。 何なんでしょうね。喋っとかな死ぬんか。回遊魚か。 自分の内側に言葉を留めておける人が、おとなだなぁと思います。すぐに弾けてぶちまけて、後悔する。 だから現実世界での被害を減らすためにも、ブログを書いた方が良さげ。 どうぞあなたさまも、御身御自愛ください。 じぶんでじぶんを、あいするとかく。 ありがとうございます! いやもう陰ながらなんて仰らず、ぜひ表で応援してください。影に日向に。月は東に日は西に。 味がある文章と言われたのがはじめてて、「え?味ある?」ってなりました!クセ強キモオタ口調かなと自分では思ってます。自分のジャンルだけめっちゃ饒舌になる系。かりそめの社交性。 森見登美彦氏や、西尾維新が好きなので、愉快で読んでいてクスッと笑っちゃうような文章が書けたらいいなぁとブログ書くときは思ってます。 あとあれやな、面白くせなあかん気がする関西人のかなしい性で、笑いを入れてしまうという不知の病にかかってんかな。知らんけど。 小説を読んでくれた方に「きれいな文章」「うつくしい文体」と言われたことはあるのですが(さりげやく自慢しました。ドヤア)、私の中では同じ言葉を喋っているつもりなので、どこにその切り替えスイッチのようなものがあるのか、自分でも知りたいところです。 津村記久子さんが、対談集で「関西弁は水位を調節している言葉」と仰っていたのが記憶に残っています。 それでいくと私は、ブログだとかなり水位高めです。小説を書く時は堰を閉めてますね! 本を読まない人が、私は羨ましいです。 それだけの強さを持って生まれて、生きていけることが。 セロリとか、そういうものの茎のような強さを感じます。 すっくと己の力で立っていけるのだろうな。 なぜ本を読むのか、それも寸暇を惜しんで大量に読むのか。 それは、私の細胞を強固に保つためには、始終そうやって「ことば」を摂取して、たくさんたくさんの文字で身体を埋め尽くして、私という存在を内側から支えていなければ、私はへにゃりと萎れて倒れて、枯れてしまうからだろうと思います。 常に新陳代謝するから、文字を食べ続けなければいけない。 業が深いな、と思います。 ところで、画数が多い感じのほうが食べてもしっかり支えてくれそうな気がしますよね。叢とか? 大学のフランス語の先生が、わたしのことを「言葉喰い」と呼びました。 それがひどくしっくり来たことを覚えています。 私の中でそれは空腹の獣でもあります。 いつも飢えて言葉を求めているくらやみの獣。 食べても食べても、満たされることがない。 The Monster of A Language Eater. 言葉喰いの獣が走るよ。 ウワアアアアア!!!!!!!!マシュマロありがとうございますうううう!!!!!!!! なんでこんなテンションかと言うと、今日、私の誕生日なんですよ。 でね、朝から簿記3級の試験を受けてきたの。 全然できなかったの。 誕生日に。わざわざ受けに行って。これかよ。 って試験終って泣きそうになって、雨降ってるし、ああもう何やってんねやろ、簿記3級とったかて、何が変わるでもないのに、時間かけてお金かけて、アホみたいや…。 となっていたところ、メールで、「新しいマシュマロが届きました!」ってあって、見たら、「偶然発見してからずっと読んでます」ってあって、嬉しくて、ほんでまた泣くやん!(笑) 簿記は、70点が合格ラインで、たぶん今回私、到達してへん。 でも1月の勉強始める前の私やったら、まあ0点やったわな。択一式ちゃうから。 そしたらそれが何点でも、不合格でも、私はその点数分だけ知識を得て、成長したんやな。 知らなかったことを知って。すこし世界を、違う眼鏡をかけて見られるようになった。新しい眼鏡を手に入れた。 それは、合格とか不合格とかで測れるもんやないな!(負け惜しみ) 英語も同じで。 上を見ればきりがなくて、バイリンガルもマルチリンガルも帰国子女も留学生もワーホリ経験者も駐在経験者もいて。 そんな中で私が英語をやる意味って…? AI翻訳のこれだけ発達した現代において、それだけの時間と労力をかける価値ある…? と、どろりとした闇に足を絡め取られて動けなくなりそうになる。 そんなとき、それを振りほどける力が欲しいと思う。 「楽しいぞ。」 どうか、世界が全て意味のあるものに覆われてしまいませんように。 蔦のように這う「価値」に捉えられないように。 タイパもコスパも悪かろう。 それでも、その先に行きたいんだよね。 寄せ集めの廃材に、拾ってきた割れたガラス瓶。 それで眼鏡を苦労して作って、かけてみる。 歪で不格好なそこから何が見えるのか、私は知りたい。 改良の余地あり、ぜんぜんクリアじゃない視界。 それでも自分はその眼鏡がどうやって、何でできたのか知っている。 違う色の継ぎ接ぎのガラスがきらきら光る。これまで見ていた世界がまるで違って見える。 それはまるで魔法のような。 さいごに マシュマロ、ありがとうございました! 引き続き、お待ちしております。 あ、ちなみに私、6月9日で38歳になりました! レベル38!!だいぶ強そうになってきたぞ! しかし現実のマシュマロって美味しいよね。大好き。 チョコフォンデュでマシュマロに勝るものってあるんだろうか。 ロータスビスケットに載せてちょっと炙ってサンドするのも好きです。 匿名で送れるメッセージ「マシュマロ」でノマへコメントを送れます にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村

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