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雑記

2020.01.28
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カテゴリ:雑記
飼っていた猫が死んだ。

14年前。
高校の後輩が溝に捨てられていた子猫を拾い、貰い手を探していた。
タキシードのような、黒の身体に白い模様。
まさしくそんな猫が飼いたかった私。
生まれて初めて猫を飼うことになった。

家族・猫部門の新設。
毎日毎日、同居の犬と喧嘩ばかり。
家はボロボロになり、何度も粗相をされ、病気をして高額な医療費に驚き。
布団で一緒に眠り、こたつで温もり、膝にのせて頭をすっぽり脇にはめて。
玄関まで急いで迎えに来てコーナーを曲がり切れず壁に激突して。
名前を呼べば返事をして、大儀そうに愛想を振りまく。
猫を飼うことの大変さと、面白さ。

一人暮らしをするとき、一緒に連れて出た。
けれど、街へ連れてこられたハイジみたいに、家に帰りたがった。
一週間で、実家に戻った。

それから、「実家の猫」になった。

具合が悪くなってから、1か月。
食事をとれなくなり、点滴だけで過ごした。
最後まで自分で歩いて、膝に乗って甘えた。

両親と妹が、介護と看取りをしてくれた。
私はただ、毎週末、会いに行っただけだった。
無責任に、ただ来訪者として。

月曜日。
早朝、息を引き取ったと連絡がきた。
実感がわかなかった。

水曜日に、葬儀屋さんに来てもらうことになった。
会社へ行き、水曜日の午後から休みたいと伝えた。
「猫のために休むの?」と上司に言われた。純粋に、驚いたように。
そうなのかもしれないな、と思った。
動物を飼っていない人からしたら、そんな風に思うのかもしれない。

これまで動物を飼ったことがない夫は、「僕も行こうか?」と言った。
この人が、ネジをたくさん持っている人で良かったと思った。
私が持たない心のネジを。

水曜日。
昼休みになっても仕事が終わらず、40分ほどしてから職場を出る。
実家に向かう途中、ダリアの花束を2つと、みんなで食べるシュークリームを買った。

実家へ向かう電車は、昼下がりで空いていて、午後の光が差し込んでいた。
そのときになって、ようやく、涙がにじんできた。
胸がつかえたような、何かを飲み込んだような。

ああ、もういないんだ。
この世界のどこにも。

今から私が向かう先に、にゃあと言って出迎えてくれる君はいないんだ。

眉間の白の模様が、すこしずれていること。
そこを触ると、ザリザリして気持ちいいこと。
肉球にハートみたいな黒い模様。
たぷたぷした白いお腹を揺らして歩いていたこと。
宝石みたいな瞳の色。
耳が薄い花びらみたいだったこと。

はじめてうちへ来た日、ベッドの下に隠れて出てこなかった。
「こんなちいさな生き物の命が、私にかかっている」と思うと、怖くてしかたなかった。
最後に会ったとき、抱き上げたら骨と皮ばかりになって、子猫ほどの重さしかなかった。

山盛りのカリカリ(餌)に、お気に入りのぬいぐるみと、毛布。
丸くなった姿は、ちょっと眠っているだけのようにも見えた。

花束をひとつ、棺に入れた。
もうひとつは、実家に飾った。
そうしたら、煙になっても、まだつながっていられる気がした。

これから先、何年もたって。
いろんなことを、私は忘れてしまう。

でもきっと、世界中にあなたの影を見る。
通りすがりの猫に、テレビに映る猫に、姿を重ねる。
何度も何度も、私が死ぬまで。
猫といえば、あなたのことだ。

飼っていた猫が死んだ。
私が初めて飼った猫が。



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最終更新日  2020.01.28 05:47:42
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2020.01.19
カテゴリ:雑記
正月明けからこちら、くさくさした気分で毎日職場に向かっていた。
なにが、という決定的なことがあるわけではない。
ただ、「もういやだ」という漠とした思いがあるだけだ。

もういやだ。

贅沢を言うな、と自分を叱責する。
不満を持つことなんて、ないだろう。
十分じゃないか。

でも、と己はなお言い募る。

もういやなんだ。

そんな時、職場の方が「実家でとれたから」とレモンをひとつくれた。
清涼な芳香と、それしかないというようなバツンとした鮮やかさ。

ー―ー檸檬爆弾!

私はうきうきして、デスクの上にそれを飾った。
雑多に散らかった書類の上に、うやうやしく。

「それ、どうしたの?」

近くに来た人が、みな訊ねる。
そのたびに私は澄まして、「ああ、檸檬ですよ」と当たり前のことを答える。

目の端に入る場違いな鮮明さが、嬉しい。

子どものころ、絵画教室に通っていて、そこで使う絵の具の色は「赤・黄・青・白・レモンイエロー」の5色だけだった。
レモンイエローの鮮やかさだけは、絵の具を混ぜて作れるものではないから。
今はもう亡き先生と、実家に残る彼女の描いた絵。

私は帰り際に少し迷って、でもきちんと檸檬を持ち帰る。
職場が木っ端みじんにならないように。
家に帰って、オリーブオイルと合わせてドレッシングにできるように。

もういやだ。

その気持ちが消えてなくなるわけではない。

反対方向の電車に飛び乗りたくなる時、仮病を使って休みたくなる時。
やるせない怒りと、行き場のない苛立ち。
あきらめながら、ため息をつきながら、乗り越えていかなければいけない何か。

私は何度も両手で紡錘形を包み、香りを嗅ぐ。
すっと、霧が晴れるような気がする。あるいは靄が。

かばんの中に爆弾をひそませて、私は電車に乗る。保育園へ迎えに行く。
ひそかな企みを運ぶように。

「これ、貰ったの」

帰宅して取り出し、夫に見せる。
そう、と夫は言う。誰から?と。

だれもしらない、と私は思う。

すべておなじように。
だれもしらない。

わたしが何を思っているか、何を感じているか、何を考えているか。
それを日常の中で話して説明することは、難しい。

幼いころは、そういう人が欲しいと思っていた。
孤独な世界に、唯一の理解者が現れる。
同じ言葉を、同じ景色を、見ることができる人が。

けれど、そんな人は現れず、私は違う言葉を話せるようになった。
練習して、積み上げて、なんとか理解できる言葉を。
違う言語の本から切り出された一文みたいに、挿入された世界で。

キッチンにひとつ、冴えわたる黄色。
これもまた、雑誌から切り抜いてきたような。
薄っぺらな存在と、実物以上の重み。

焦燥と嫌悪は、なくならない。
生きている限り付きまとう、宿命のようなもの。

ただ、それらをうまく取り成し、なだめ、押さえつけ、ぎゅうぎゅうに詰め込んで。
たまに爆弾を仕掛けるくらいは、許されるだろう。

紡錘形のレモンエロウ。
世界に紛れ込んだ異物。
日常を継続するための、不発弾。


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梶井基次郎「檸檬」より。







最終更新日  2020.01.19 00:00:16
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2020.01.01
カテゴリ:雑記
あけまして、おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

決まり文句と定型句は、どこか面映ゆい。
こういうことを、さらっと言えるようになったら大人なんじゃないかと思う。
でも私は、いつまでも笑いを堪える子供のようなまま、モゴモゴと口にするのだ。

年末になると、いつも「時の翁」を思い出す。
ファーザー・タイム。時をつかさどる老爺。
何かの授業か本かで目にしたその表記が気に入って、年の暮れになるとそのイメージが甦る。

しみの目立つ、節くれだった手足。
高い頬骨と、鷲鼻。
曲がった腰。

彼は、杖を突きながら、ゆっくり歩く。
石の転がる地面を睨みつけながら。
一歩一歩踏み出すごと、身体は痛みに耐える。
ため息を吐くように、荒い息が漏れる。

―――ここまで来るのは、とても大変だった。

凍てつく空気、暗く閉ざされた世界。
長い時と、積み重なった疲弊。

どこへ行けばよいのか、わからなくなる。

彼は、立ち止まる。
途方に暮れた、迷子のように。
踏み出す力が、自分にはもう残されていないように感じる。

ーーーんぎゃあ、んぎゃあ。

どこからか、赤ん坊の泣き声が聞こえる。
力強く、それは闇をつんざく。

老爺は、遠くなった耳でそれを聞く。

世界を切り裂くように、一筋の光が差す。
日の出だ。

彼は、地面ばかり見ていた目を、上へ向ける。
薄紫に藍、橙。
刻一刻と、様々に色を変えてゆく空。
明るくなっていく世界。

彼は目を見張る。
長らく忘れていた、その美しさに胸を打たれる。
言葉をなくして立ち尽くす。

どこかで赤ん坊が泣いている。
誕生の喜びに胸を躍らせて。
かつて赤ん坊として生まれた老爺は、遠い記憶にそのことを思い出す。

良いこともあった、悪いこともあった。
喜びも悲しみも、私の上を通り過ぎて行った。
ここまで来るのはとても大変だった。

けれど、なんて美しい世界だろう。
なんて素敵な世界だろう。

漲る力の成れの果て。
それでもまだ、また一歩足を進める。

さあ、どこへ行こう。


新しい年のはじまりは、そういうイメージ(長い)。

年越しそばを食べ、RADWIMPSまで紅白を見て、子供たちと就寝。
年の変わる瞬間は逃し、いつものように3時に起床。
TVerで「孤独のグルメ」大みそかスペシャルを見ながらネットをする、そんな日常。

今年はどんな年になるのか、楽しみだな。

皆が、すこやかに過ごせますように。
良いことがたくさんありますように。
実り多くある1年になりますように。


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最終更新日  2020.01.07 04:13:56
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2019.12.27
カテゴリ:雑記
体調が悪く、仕事でもケアレスミス。
家に帰れば、子供に怒ってばかり。
なんかもう、しんどい。

仕事に行きたくない。
家にも帰りたくない。

でも、そういうわけにはいかない。

重い気持ちを引きずって仕事へ行き、げんなりしながらお迎えに向かう。
職場と保育園と家の往復。

句読点のない日々。
切れ目なく続く日常の連続。
タスク、タスク、タスク。

時間内に仕事を終え、セカンド・シフト。
駅に着いた瞬間から子どもを寝かしつけて一緒に寝るまで、携帯を見る暇もない。
眠りの浅い子どもを、夜中に何度もあやして、寝かしつけて。
細切れの睡眠をつなげて、早起きできなければ自由になる時間はゼロ。

今だけ、だと思う。
あと数年もすれば楽になるのかもしれない。

でも、「今」、しんどいのだ。

先日、ついに臨界点を突破したと思った。
でも、お迎えにはいかないといけない。

晩御飯は、昨日の残りがある。
(ありがとう、昨日の私。)
お迎えのデッドラインまで、30分。

―――よし。

最寄り駅に着いてから、自分に自由を許す。
日用雑貨を見て、百均を覗いて、本屋に立ち寄る。

たった30分。
でも、その間、私には義務がない。
やらなければいけないこと、こなさなければいけない役割、すべてから解放されている。

私は独身で一人暮らし、と考える。
ぶらぶら買い物をしても、適当に食事を済ませても、買って帰っても良い。
家に帰ったら録画しておいたバラエティを見るんだ。
お風呂はシャワーで済ませて、ネットサーフィンして、日付が変わるくらいに寝る。
休日は、朝起きてから何をするか決める。
日帰りで遠出しても、映画を見に行っても、一日ごろごろしていてもいい。

そんなときがあったことを、思い出す。
ささやかであっても、もう手が届かないもの。
今となっては、幻のような。

タイムリミットが近付く。
ぐずぐずと立ち去りがたい気持ちを切り捨てて、そのことに罪悪感を覚えながら、お迎えに向かう。

それでも、なんだろう。
120で溢れていたものが、80か90くらいには、収まっている。

すこしだけ、自分を取り戻す。

きっと、あのままお迎えに行っていたら、子供に当たり散らして、自己嫌悪に陥って、もうめちゃくちゃになっていただろう。
30分の我儘と、贅沢。

暗い道、冷たい外気。
グランドを走り回る娘に「おいてくよ!」と声をかけ、
暴れてベビーカーに乗らない息子を無理やり座らせ、
喋り続ける娘の話を聞きながら、泣き叫ぶ息子を連れて、帰路につく。

帰ったら手を洗わせて、お風呂のスイッチを入れて、炊飯器をセットして、洗濯物を取り込んで、子供をお風呂に入れて…。
30分お迎えが押せば、すべてが30分遅れる。
お腹が空いた子ども、眠たくなる子ども。
事態は悪化の一途をたどる。
自分のツケを、自分で払う。

「お母さん」であれば、当たり前?
自分で望んだこと?

確かにそうだ。

子どもたちは、かわいい。
母親であることは、大きな喜びだ。
仕事があることは、しあわせなことだ。

でも、逃げ場がない苦しさがあるのも本当だ。
いろんな人が、いろんな場所で、そういう思いをしているんだろう。

「甘えるな」
「幸せなことだよ」
「頑張れ」
「自分で選んだことでしょう」
「我儘だ」

誰かの声が、聞こえてくる。自分の中から。
だから、だめだと思ってしまう。

自分を大事にすること。優先すること。我儘を許すこと。甘やかすこと。

本当は、その人が一番そうしなきゃいけないのに。
誰かを守る、庇護する、世話するなら。
その人が倒れたら、病んだら、おしまいだ。

しっかりしなきゃ。がんばらなきゃ。

そうやって歯を食いしばるのをやめて、肩の力を抜く。
愚痴も弱音も、吐いていい。
あなたが一番大事だ。

30分、好きなことをしよう。
カフェでお茶しよう。本を読もう。カラオケで歌おう。
甘いものを買って帰ろう。お惣菜で済ませよう。

笑顔を作る気力すらない時。

そうして、少しだけ、重荷を下ろそう。
溢れそうなコップから、水を少しだけ減らして。

また、笑えるように。

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自己擁護と、自己弁護。
何かで、大人には自分で自分をごきげんにしておく義務がある、と読んだ。
ごきげんになる方法を、たくさん用意しておかなくちゃ。
年末年始、九連休。
ご飯づくりと子供の世話で、考えただけでげんなりしてしまう。
不機嫌になる前に、その状況から逃げよう。






最終更新日  2019.12.27 00:00:15
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2019.12.15
カテゴリ:雑記
世はまさに、「ママ」全盛時代。
「●●ちゃんのお母さん」と呼び掛けられるより、「●●ちゃんのママ」と呼ばれる方が多い。
それにいつまでたっても馴染めない私。
「ママです(笑)」みたいな対応になってしまう。
娘はもう4歳、妊娠中から呼び掛けられることを思えばかれこれ5年弱も呼ばれているのに。

私が子供のころは、「ママ」より「お母さん」が優勢だったと思う。
なぜママに移行しているんだろう。言語学の変遷調査がありそうな気がする。
新しい価値観を生み出すとき、既成概念が変わるとき。
手あかのついた表現が使われなくなり、カタカナ語(外来語)が選ばれることがある。
そのあたりが関係していそうな。

どうにもこうにも、「ママ」に違和感があった私。
生後半年を過ぎ娘の発話が始まった時、娘に自分をなんと呼ばせるか?という問題に当たり、「ママは無理だ」と思いました。
ママって柄じゃない。

ママって、なんていうかこう、ふわふわしてて、きらきらしているイメージ。
ナチュラルスタイルのふんわりロングスカートで、ぺたんこ靴。
いつでも子どもが一番!ってニコニコしてる。

うわー、まじ無理やー。

ここはひとつ、昔ながらの「お母さん」でお願いします。
こちらの方が、手あかにまみれている分、バリエーションが豊か。
ぼさぼさの髪でもいけそうな気がする。

『ぽっかぽか』を読んでから憧れている「はは」「ちち」も捨てがたかったのだけれど、夫に却下されました。
(私と妹は、実家の母のことを「はは」とよんでいます。)

しかし、赤ん坊には「おかあさん」「おとうさん」呼びは難しい。言えない。
結局、世の中で幼児語として用いられている「かか」「とと」を通称とすることになりました。

結果、娘、4歳になっても「かか」呼びです。
途中、「お母さん」と呼んでもいいよと提案してみたのですが、いまさら恥ずかしくて変えられないみたい。
姉の姿を見てきた下の息子も、当然「かか」呼び。最近は「かかさん」と呼ばれます。

軽やかな「ママ」は、なんか違う。
でも、概念としての「母」は立派過ぎる。

「ママ」に対する違和感と、「母」に対する疎外感。

かか、はは。
母さん、お母さん、おかん、おかあちゃん。

ちょっと愛嬌がある、ドジで不真面目なそのイメージを選ぶ。
使い古された、人間臭いことばがすき。

そのうちに、子供たちは私のことをなんと呼ぶのだろう。
いつか、「ん、」としか言わなくなる時も来るんだろうか。

当分、私は「かか」と「かかさん」。
素敵なママと、偉大な母のあいだにいる。

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そのむかし、『ママは昔パパだった』という言語学の本を読んだけど、今検索しても出てこないので、違うタイトルだったのかもしれない…。
マ音は、むかしパ音だったというp音考の話。






最終更新日  2019.12.15 20:17:03
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2019.11.17
カテゴリ:雑記
金曜日くらいから、体調と精神状態が絶不調です。

仕事も変なこといっぱいしてしまい、頭がぼーっとして思考停止でもはや何とか作業している…というレベルだし、些細なことでカチンと来るし、被害妄想激しいし、帰宅したら子供たちにキレまくり。
さらに寒気と腹痛で、這うようにして子供を歯磨きさせて寝かしつけるところまで到達。

続く土曜日も、ずーっとイライラ。
子供は朝早く起きてくるし、言うことまったく聞かないし、寄ると触ると喧嘩。

子供たちの相手をし、朝食を食べさせ、布団をたたんで、掃除をして、皿を洗って。
そんな中、夫はいつも通り自分の起床時間に起きてきて、またイライラ。

午前中は子供たちを連れてみんなで出かける。
子供たちが遊んでいる間も、私の頭は帰宅後の昼食と夕食のことを考えている。

冷蔵庫にはあれがあったから…。
帰りにあそこのスーパーに寄って…。
昼は帰ったらあれを焼いている間に冷凍のごはんをチンして…。
夜ごはんは…。

なんで私ばっかり、ずっと家事のことを考えてなくちゃいけないの?

自分ばっかり働かされるなんて不公平だ。
私は全く好きなことが出来ないし自由な空間も時間もない。

不満がぱつぱつに膨らんで、弾けそう。

ただ一時間、ひとりでぼーっとゆっくりしたい。
子供が起きてくるかもしれない、
子供が泣いたら慌てて寝かしつけにいかないといけない、
そういう状況じゃなくて。確保された時間で。

夫にぐちぐち言って、昼食の皿洗いをしてもらう。
夫が皿を洗っている間、子供たちの相手をしているのだから、役割を交代しただけ。
でも、恩着せがましく「皿洗いやるよ」と言われてイライラ。

私は「ありがとう」と言わないといけないの?
その皿、あんたは使わなかったのかい?
そういう思考回路にはまっている。

子供の相手をしながら好きなことをやろうとして、コーヒーを入れスマホを手に取る。
息子が「あっこ!あっこ!」と膝に上がってきて、コーヒーが倒れそうになる。
本を読もうとする。「これよんで!」と娘が絵本を持ってくる。
仕方ない。分かってる。でもこの状況がしんどい。

1日中、夫に愚痴り続け、子供たちへブチ切れ続け、娘からは「いじわるばっかりいうから、きらい」と言われる。

だめな状態のループ。

ここのところ朝も起きられず、それは寒くなってきたし朝暗いからかなあと思っていたんです。
どうも違う。

手帳を見ると、どうもPMSっぽい。
最近鉄サプリ飲んでいたからマシになったと思っていたのになあ。

たくさん寝たい、でもそうすると自由な時間はまったくない。
休日の方が、1人でほっと一息つく間もない。

半日ずつ交代で子供を見る、ということが出来たらなあ。
お互いに半日は休めるのに。

夫が1人で2人を連れていけない。
確かに、大変なんだけど。分かるんだけど。

イライラが止まらなくて、だめです。
どこかで自分を諦めさせないといけないのだと思うけれど、納得できない。

私だって、休みたい。

休んだら、何をしようかと思う。
コーヒーを入れて手帳を書いて、本を読む。
家にいて出来ること。些細すぎて泣けてくる。

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最終更新日  2019.11.17 05:40:21
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2019.11.06
カテゴリ:雑記
先日、高校時代の友人と久々に会いました。
「自分ばっかり」と機嫌の悪い夫に子供を預けて、1年ぶりくらいのスターバックス。

彼女は独身で、東京でバリバリ働いている。
英語を話し、世界中を飛び回って。
自分の意見をはっきり表明し、常に前を向いてぐんぐん進んでいく。

彼女と会うといつも、自分はなんてちっぽけな世界で生きているんだろうと思う。
狭窄的で、近視眼的で、閉じこもっていて。
生まれた町を出ることもなく、きっとこれからも、ここで生きていく。

思い出すのは、漫画のワンシーン。
尾崎かおり『メテオ・メトセラ』で、生まれた町を出たことのない主人公が、世界地図を前にして「自分の生まれた町がない」と言う。
そこで、相手は返す。

「世界はうんと広いんですのよ」

友人は、そのことを思い出させてくれる。外の世界の風を運んでくれる。
彼女と会った後は、ぱあっと視界が開け、靄が晴れたような気持ちになる。

そして思う。
こんな風に世界を見せてくれる人が、「友人」なのだろうと。

行きたいときに、行きたいところへ行ける。
彼女は、きらきら輝いて見える。

私は彼女がうらやましいのだろうか、と思う。
私があの時―――東京で内定をもらっていた時、あちらを選んでいたら。
私の人生は、彼女のようになったのだろうか?

否。

私は、あくまでも私だっただろう。
今の生活を選んだこと自体が、「私らしさ」でもある。

向日葵のような彼女。
憧憬や羨望はある。
けれどそれは、もはや掠れて遠くなっている。

「いいなあ」と、素直に思う。
一方で、私が同じように独身でいたら、そう思うことは出来なかったかもしれない。
妙な敵愾心を抱き、劣等感を持っていたのかも。

結婚して、子供が生まれた。
まさか自分が、妻だとか母だとかになるとは思っていなかった。
望むことすらなかった夢。
(2019.01.27「きっと何者にもなれないお前たちに告げる。」)

私が、彼女のことを眩しく思うように。
私のことを、そう思う人もいるのかもしれない。

対岸の彼女。

あちら側は、自分がいるところより、よく見える。
あるいは、自分の方が良いところにいると思う?

違う世界、違う陸地。

でも、「おーい」と手を振れば、彼女も手を振り返してくれる。
彼女が向こう側で元気でいてくれて、良かったと思う。

最近読んだ本に、「対岸の彼女だと思っていた彼女たちが、最後にはみんな同じところに戻ってきていた」と書いてあった。
私もいつか、その日が来るのだと信じている。

ねえ、ずっと歩いて行った向こう側が、またくっついてるよ。
その時は、またいっしょに遊ぼうね。
昔、同じ岸を喋りながら歩いたように。

あなたの歩いた世界の話を聞かせて。
あなたの旅が、どんなだったかを。

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(その友人はこのブログの存在を知っているのですが、「子育てブログ」やから読んでないみたいなので、こっそり書いておく。)






最終更新日  2019.11.06 06:02:38
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2019.10.13
カテゴリ:雑記
台風の影響はいかがですか。
怪我がないように。無事であるように。一刻も早く元の暮らしに戻れるように。
そうすることしかできなくて、陳腐だと思ってもそう祈っています。
そして、この状況で働いてくれているたくさんの人に応援と感謝を。

土曜日。
関西は進路を逸れ、午後にピークを迎える予想。

ベランダの物は、前夜に家の中に入れておきました。
冷凍庫のものも、電気が止まった時に備え、一週間くらいかけて減らしている。
養生テープも買ったけれど、窓を保護するほどではないかな…という感じ。

私と娘が参加する予定だった午前のイベントは、前日に中止連絡。
夫と息子が行こうと思っていたイベントも、早い段階で中止の告知がされていました。
歯医者で抜糸予定だったので、開いていることを確認し、夕方だった予約を早い時間に変更。

歯医者に向かう際、道に歩いている人が1人もいませんでした。
車社会なので、車はけっこう走っていた。
娯楽施設は軒並み閉まっているし、買い物に行くんだろうか。

車を持たない我が家は、自宅に缶詰め。
1歳3歳、朝から暇を持て余し、寄ると触ると喧嘩する。
お絵かきをさせ、テレビを見せ、ごろごとさせて…。
間が持たない。
11時に昼食、2時半におやつ、4時から入浴、5時に夕食、7時就寝。
夕方には台風の影響が弱まり、雨も上がりました。
力を持て余しているので、子供らはなかなか寝付かず。そして一番に寝る私。

子供と1日家にいると親がキツイので、今度から何かしら用意しておこう…、
粘土とか、お菓子作りとか?
それも息子がもう少し大きくならないと厳しいな。
成長したら、自分で本を読んだりゲームしたり、長い映画を見たりできるんだろうけど。
私だけなら、本を読んで映画を見てネットをして、それは楽しく1日が終わるのだけどなあ。
みんな、家で何をさせているんだろう…。

昨年の台風で停電と断水を経験し、少しずつ災害への備えを始めたのですが、まだ不十分。
LEDランタンを買おうと思います。
あと、何がいるのかな。買い置きの水もそろそろ入れ替えないと。

大きな災害があるたび、当たり前の日が、当たり前にあることを、思い出す。
それは、得難いことなのだということも。

みんな、無事でありますように。
「他人事じゃないか」と言う自分の中の声が聞こえても、祈らずにはおれない。

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最終更新日  2019.10.13 05:15:06
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2019.09.29
カテゴリ:雑記
2019.08.20「ワーママ、「理想の一日」を考える~朝~
を書いた時、
「子供と夜9時に寝て、自然に目が覚めるのが朝5時。自分時間が足りない!何にも出来ない!」
と思っていました。

でも、自分で書いていて「あれ、目覚ましって無理なのかな?」と気付く。
ちょっと離れた場所でバイブレーションなら、子供は起きないのじゃない?

4時に目覚ましをバイブでかけてみる。
自分は起きられる。
子供は起きない。
え、いけるやんいけるやん。
しかし、ここで気付く。

私、目覚ましが鳴る30分~1時間くらい前から眠りが浅くなっていて、うとうと半覚醒状態。
それなら、その時間に起きてしまえば?



というわけで、ここ1ヶ月ほど朝3時起床でした。

目覚ましで3時に起きられるのは、だいたい7割くらい。
疲れていると起きられず、4~5時に起きてました。

朝3時だと、6時半まで3時間半もある。ドラマも映画も見られる。
(だいたい、6時半までの間に息子が2、3回起きてきて、そのたびに寝かしつけに行くのですけどね…)

5時起きだった時より、2時間も自由時間が増えた!!!ヒャッホイ!

と、喜んでいたのですが…。

ねむい。

6時になる頃には結構眠い…。
9時~3時で、1日の睡眠時間は6時間弱。
もうね、寝かしつけしようと布団に横になった瞬間寝てる。
子供より先に一番に寝てる。

元々がロングスリーパーで、どこでどんな時でもすぐに寝られる(それだけ睡魔に弱い)。
短時間睡眠は…向いてない。

最近読んだ本に、2冊とも
「パフォーマンスを発揮するためには、1日7時間以上睡眠が必要」
「6時間未満は睡眠不足」
とあり、3時起きはやめた方が良いんだろうな、と再認識。

せめて4時。7時間睡眠を確保。
日の出も遅くなってきたし、4時にしようかなと思う。
1時間、可処分時間が短くなるのは大変惜しいことではあるのだが。

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最終更新日  2019.09.29 12:29:59
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2019.09.27
カテゴリ:雑記
一人の時間が欲しいとき。
少しでも時間があればーーーたとえば保育園のお迎えに行く途中の10分ーーーカフェでお茶したい。
そこで自分をリセットしたい。
家に帰ると、どうしても「日常」になってしまう。
そこから家事をはじめてしまう。
気持ちを引きずったまま、保育園のお迎えから寝かしつけまで、怒涛の時間をこなすと、もうイライラしっぱなしでいけない。

しかし、外でカフェタイムをとるには、お金も時間もかかる。
休日に一人カフェするわけにもいかない。



この間、法事のお供えに買ったスタバのオリガミ。
(2019.08.25「法事のお供え、どうすりゃいいの。」)

最近、これで「おうちスタバ」しております。

・お値段そこそこ(6袋で900円くらい)
・味が本格的(ペーパードリップ。めっちゃ濃い)
・「私は今スタバにいる…」と自己暗示をかけて悦に入れる(田舎者)

いつもはネスカフェのインスタントコーヒーなので、ちょっとだけ、特別。

「今から、休憩しまーす!」と宣言して、美味しいコーヒーを入れる。
子供には録画しておいたテレビを見せ、スマホ片手にボーッ。

平日、子供たちを寝かしつける前。
「全部終わったらコーヒータイム!」と乗り切る。 
私はコーヒー飲んでも3秒で寝れる体質なので平気。

休日、ずーっと子供たちの相手をしていて疲れた昼食後。
休憩を挟んで、夜までを乗り切る。

子供に何か言われても、「今、休憩中なんで…」と断るようにしている。
(うまくいくときも、いかないときもある。)

子供が保育園で自分が休み(用事)というときも、「30分あるから喫茶店寄っていこう!」とかやっていたんですが、最近は「家に帰って美味しいコーヒー入れよう」となる。
そうすると、粉で買って自分で入れるドリップコーヒーも気になるし、コーヒーマシンも気になってくる。

厳密に言うと、私は「個」の時間と自由が欲しいのであって、それは叶っていない。
でも、代替作としてはお気軽に実行できて、良い。

最近読んだ本に、「保育園のお昼寝というのは、個にかえる時間、自分の内側に入っていく時間で、これが必要なのだ。幼稚園の子供たちは帰宅して個に戻る。長時間保育のなかで、その時間を考えていかないといけない」というようなことが書いてあり、なるほどと思った。
保育園、学童、仕事。
そのなかで、「個」になる時間を持つのは難しい。
でもそれがないと苦しくなってしまう。
必要とする度合いは人それぞれなのだけど(ソロ活のように)、私は子供の頃からとても強い。
一人の時間がないと、息が出来なくなって死んでしまう。

人があふれる中で、仕事を終えれば子供と常にいっしょにいるなかで、いかにして「個」に還るか。
それは意識の問題なのだろうか。
だって、電車の中でも私は「個」だと思う。移動する個。
本を開けば、そこには私だけの世界が広がっている。まわりに関係なく。

そこに属していることから、解放されないといけないのかな。
役割や、名前から。

スタバのオリガミ。
ここぞ!というときに大切に飲んでいたけれど、なくなってしまった。
次の良いものを、探そう。

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最終更新日  2019.09.27 06:46:01
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