2008/12/07(日)15:22
忘年会にて思う
東京で働いていた時 異業種同職種の集まりがあり
年2,3回は皆で集まっていました。
会員にSビールもあり夏にはそこので試飲会でした。
私が 小浜に行く時も送別会を開いてくれ も
時々東京に帰ってくると それに併せて飲み会をしてくれました。
リハビリ入院の湯河原にも みんなでお見舞いに来てくれました。
幹事が 毎回会合の案内を送ってくれるので
「残念だけど東京には当分行けません」
と毎回返信していました。
でも毎回 いいですよ 待ってますよと、、
それで 今回意を決して 忘年会に参加しました。
かれこれ7年振り位の参加でした。
幹事と連絡取りながら打ち合わせしてきました。
階段が苦手なこと 1泊するのでホテルを探して欲しい などなど
当日 幹事がホテルまで送迎してくれましたが
会場が、、地下でした
初めて行く場所は必ず階段とトイレはチェックします。
私とした事が幹事を信じて 直接確認しませんでした。
階段は あれほど不得意だといったのに、、大丈夫ですよ
の言葉を信じた私が甘かったのです
幹事は自分が背負おって階段を下りようと思ったと、、
体重は私のほうがあるって~~
雨の後で 滑る階段 一度高い2段を上り再度下り階段
片側にしかない手すり しかも手すりは雨でビショビショ
コートは濡れるので脱いで下りました
泣きそうでした
私が参加する事はみんなに内緒だったそうです
幹事がMさんが参加する事はサプライズだから誰にも言ってません
皆さんは 喜んでくれましたが
20人近く集まったのに 席は12人分しかなく
後から来た人達はかなり窮屈な体勢でした
トイレに行くにも 一度席を離れないとだめ という窮屈状態
これじゃ 皆さんと話なすこともできません
私は4人掛に座らせ貰い 窮屈な思いはしませんでした。
年齢的には1番若い、、以前なら末席で 皆さんにお酒を注いだり
注文ししたり、、 でも今は何も出来ない私でした。
元気になってよかったね と 言って下さいました。
皆さん 現職の部長級の方たちです。
気がつけば 今の景気の話になり 雇用状態の話、ボーナスの話になり、、
以前は 1番若い私が皆さんの席を回り座を盛り上げていたんだな
なんて ちょっと 悲しくなり
ここにも 居場所がなくなったんだと 思いました。
誰が悪いのでもなく 責めるでもなく
浮かんできた言葉 諸行無常 と の1節でした。
確かに 倒れる前の私には 怖いものなど なにもなかったです。
人生を 生き生きと生きていました。
今 となってわかります。祇園精舎の鐘の音
平家物語(巻第7)