孫子「謀攻篇」 9,戦わずして人の兵を屈する
今回から謀攻篇となります。実際の戦闘によらず、計謀によって敵を攻略することを述べており、『彼れを知り己れを知らば、百戦して殆(あや)うからず』という有名な章のある篇でもあります。さて、戦わずして人の兵を屈するとはどういうことか。孫子は、軍事力を運用する原則としては、敵国を保全したまま勝利するのが最上の策であり、敵国を撃破して勝つのは次善の策である、と述べています。敵の軍団を保全したまま勝利するのが最上の策であり、敵の軍団を撃破して勝つのは次善の策である。敵の旅団を保全したまま勝利するのが最上の策であり、敵の旅団を撃破して勝つのは次善の策である。敵の大隊を保全したまま勝利するのが最上の策であり、敵の大隊を撃破して勝つのは次善の策である。敵の・・・。・・・・・・要するに被害を少なく、できれば実際に戦闘せずして敵の軍事力を屈服させることこそ、最善の方策である、ということですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ギル戦になんねーよヽ(`Д´)ノ・・・('ω`) が、まあ、ここが孔子の一番の特徴であるようですwカール・フォン・クラウゼヴィッツ(Carl von Clausewitz, 1780-1831)は、プロイセンの軍人ですが、彼の書いた『戦争論』は近代戦争を体系的に研究した最初の著作と言われています。この『戦争論』では、殲滅戦が主流となっており、この点においては孔子と対極をなしています。孔子は百戦百勝は百戦した時点で最善ではないと説いているからです。近代日本は上の『戦争論』を中心としたプロシア兵学を導入したわけですが、結果は皆さんもご存知のとおりです。日本軍の戦い方は孔子の教えにまったく背くものでした。ただし、クラウゼヴィッツもこう説いています。「戦争とは他の手段をもってする政治の継続であり、政治とは他の手段を持ってする戦争の継続である」と。これは今回の章にも通づるものではないでしょうか。まあ、ギル戦にはあんまり関係ないんだけどね |゚∀゚)ノではでは~^^