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テーマ:政治について(19780)
カテゴリ:15年戦争関連
※ただいま過去日記のカテゴリわけをしていますので、
日記タイトルが最新日記とは違っています(-_-) 8月と聞いて連想すること。 真夏日、夏休み、お盆、帰省、盆踊り、夏の終わり、秋風・・・。 私の場合はさらにもう二つ。『原爆の日』と『終戦の日』 私、戦争は大嫌いですが、昔から第2次世界大戦だけには興味があり、特に日本が関わった部分が。自分の国が何をしたのか、されたのかすごく知りたかった。だから日本史も明治から終戦までの軍国主義時代だけは成績良かったです(笑) 先の大戦って、私の生まれる27年前と考えるとそんなに昔の出来事って感じはしないし、親は戦中生まれだからなおさらですね。 親の家族が広島で暮らしてたら?とか満州に移住してたら?とかありえない話じゃなかったと思うし、そう考えると決して他人事じゃないよなぁ、と思うわけです。 で、そういうことを思うようになったきっかけって何だろうと今考えると、小2の時に読んだマンガの『はだしのゲン』ですね、多分。 ゲンの父親は公然と戦争反対を訴える人だから家族は常に『非国民』と呼ばれてヒドいイジメにあいます。隣に住んでる朴さんとも仲良くするし、特高にも目を付けられてちょっとしたことでも引っ張られてしまう。父親が丁寧に絵付けをした売り物の下駄を全てドブの中に落とされる場面は本当に可哀想でした(;_;) 原爆の描写もかなりリアルではっきり言ってグロテスクで気持ち悪いんですけど、スゴい強烈な印象で一気に読んだ記憶があります。『三つ子の魂百まで』じゃないけど、7歳で感じた原爆と戦争の恐ろしさはやはり大きかったと思います。 多分それ以来です。『原爆の日』と『終戦の日』は毎年特別な感じがしてました。夏休みだから家で式典をじっと見ていたような気がします。 高校野球も15日には黙祷しますしね(今の時代、意味がないからやめようという政治家さんもいるようですが) 大人になってからは『日本のしたこと』について考えるようになりました。南京大虐殺だけは教科書に載ってたけど、それ以外は全てテレビや新聞で知りました。 強制連行、従軍慰安婦、731部隊、他にもいろいろ。 我が家は『北海道新聞』ですが、そういうことを本当に詳しく特集してました。 被害者の韓国人の今の声も出てましたが、誰も日本を許してない。子供・孫へと恨みを語り継いでいる。国同士の補償は済んでるけど個人レベルでは何もなく、「人生をメチャクチャにされた。今だに何の補償もなく、いつまでワシらを苦しめれば気が済むんだ」と泣きながらまくしたてている・・・といった感じでした。 戦中派の読者から「今さら昔のことを蒸し返すな。愛国心がないのか」というお叱りの投書が来たと後日談として書いてあったけど、私はもっと知りたいと思いました。でもありとあらゆる悪行の数々で正直かなりショックでした。 いくら過去の事で戦時中とはいえ、自分の祖父の年代の人達がそんなことをしてたなんてね・・・。こりゃ、被害国の人達(主に韓国・中国)に顔向けできないな、と思いましたよ。 いまだに戦後補償の裁判はいくつも争われてるけど、判決が出るたびに疑問です。札幌での強制連行の件では「戦後何十年もたっていて時効です。国も会社も責任は問わない。原告はもっと早く請求できたはずだ」みたいな理由で請求を棄却。 でも何年たとうが、いかなる理由があろうが、やった事の大きさは変わらないと思うですが・・。日本側だって罪の深さを知りながら原告が声を上げるまで黙っていたわけですよね. 被害者側にたった判決が出た時は100%国は控訴。自分らが人生狂わせて今もなお苦しみ続けている人達を、なぜ救済しないのか私には到底理解できません。人道的に考えて、国同士の謝罪や経済支援というもので片付けられる問題ではないと、どうしても思ってしまいます。 首相の靖国参拝も全くわかりません。 A級戦犯と無理やり日本兵にさせられた家族が共に入っている所へ、日本の首相が8月15日に行く(最近は前倒ししてますけど) いくら彼が「非戦の誓い」をしても、被害者から見れば『日本のために戦って死んだ英霊たちだけ』に祈りをささげる行為じゃないでしょうか。 反省している、二度とあんな事は起こさない、と言うのであれば強制連行されて原爆で死んだ人達の慰霊碑にこそ行くべきでしょう(彼らは慰霊碑すら日本人と同じ敷地内には立てられなかった、という話を聞いた事がありますが・・・) 中国残留孤児の人達に対する薄情さも全く信じられません。 言葉も生活習慣も違い、働き口も年金もないのですから、手厚く保証するのが『国の自己責任』のはずです。 でも現実は日々の暮らしがやっとで、将来不安で裁判起こさざるを得ないんだそうです。 おかしいと思いませんか? 国が大々的に満州に行くことを推奨して、希望を胸に渡った結果が敗戦。子供たちの命を助けるために、親は我が子を中国人に預けるしかなかったわけです。 中国では『日本人』としてさげすまれ、30年以上たってやっと帰ってこれた夢にまでみた祖国では『中国人』として言われなき差別を受ける。運命というよりは、国と戦争に翻弄され続けただけの人生ですよね。 自国民にさえこんなに冷たいんだから、よその国の人なんて眼中ないんでしょう。結局政府は、当事者が誰もいなくなるまで待つ覚悟なのかな。『もはや戦後ではない』なんて言葉があるけど、戦後を引きずっている人は多いでしょうね。何年たっても忘れられるわけはない。 終戦から59年たっても今だに「自己責任は果たした」と言える状態では全くないと思います。摩訶不思議の国、ニッポン。 でも・・・ どんな理由があっても、スポーツでブーイングを浴びせられるのは納得いきませんけどね・・。 ※我が家のパソコン、日曜日からなぜかネットが使えなくなってしまいました。というわけでネットカフェで書いてます。あぁ、不便(泣) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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