バツイチ独り身で両親も去り、身軽さと寂しさの狭間。世の中随分と変わっちまった…

2022/11/12(土)15:50

卒寿

11月9日は母の誕生日だった。存命なら卒寿を迎えていた。コロナ禍の最中に母との同居生活を始めたが、徐々に食事摂取や排便など介護の面倒が厳しくなってきて居た。五月になって、父がお世話になった「介護療養型」の病院にお世話になることを決意した。夏を越せるか否かが医師の見立てだった。六月に入り一週間程度のショートステイの積り一時入院したが、病院からは入院をあとひと月継続できると言われたのでお願いをした。すると次の日だったか、この型の病院は積極的な処置をしないらしく(食事介助をしない)、入院数日で絶食されて仕舞った。看取りを病院にするか家でするか決断を迫られた。 痰の吸引や体位変換など医療的な処置が必要だとの見解で、前の職場や地域のつながりの介護のプロや従妹たちに相談した。ひとりでの介護は大変。やってもやらなくても後悔は残る。この二点は共通した意見だった。 老健に永いこと入所していた母の口癖が「家に帰りたいこと」だった。6月下旬の入院中の母との「特別」面会で最低限の会話は成立していた。矢張り家に帰りたいと言ったのは病院のCWも確認している。結果として七月に母の自宅に戻ったが、退院三日目で絶命となった。もしも積極的な(延命)医療処置をする病院に預けていたら、もう少し母と過ごせる時間があったと振り返る時が今でもある。 果たして、愚うたら息子の俺が半年以上母の面倒を看る度量があったか? 母は自身が納得のいく終末期を過ごせたか?今でも朝の仏壇の線香の香りと共に振り返ってしまう時がである。世間では、歴史に過去は遡れないと言う。後ろめたさを感じないと言えば嘘だ。果たして、母は不肖のひとり息子の在宅介護で、元気に卒寿を迎えていたかなぁとしみじみと思う。蠍座の女は優しい女。 南無阿弥陀仏

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