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2006.01.08
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カテゴリ:茶の本
放送大学英語(2)『茶の本』Lesson13は『想像力の新鮮さ』がタイトルです。

<試験も2週間後に迫り兵庫学習センターもかなり賑わっていました。>

この課では日本の美術の西洋の物との違いの一つは
『左右対称』でないことが取り上げられます。
しかしこの様式こそ禅のしいては道教の『美』の理念なのである。

省みると古代の中国の青銅、唐代また同時代の奈良の宗教美術などはsymmetryを追求している事がわかる。しかし禅や道教徒の『完成』の概念は異なるのである。

彼らは『完成品』より完成品にいたるプロセスが重要なのだ。
なぜなら彼らの哲学では、『真に美しいもの』というのは不完全なる物を各人の心の中で完成する過程により会得されるからだ。

茶室においても各人が想像を働かせて美の完成をするべく余地を空けてある。

禅の様式が広まって以来オリエントの美術においては『左右対称』と『繰り返し』
は避けられてきた。つまり均斉=完全は想像力の働く余地をなくし、重複は想像力を阻害すると考えられた。この理由から茶室の美の題目は人間より風景や花鳥風月
が好まれた。人は茶室にいて重複するからである。

(感想)繰り返し『意図的な未完の美』が述べられる。
『理解』と『納得』との間には少し間があって、後者には鑑賞者の何らかの自己の物と結びつけて満足した感じがあるように思う。対象に自分の何かを附加して完成した時納得した感じ。生き生きとしたイマジネーションは現実を超越してより高い美の領域に鑑賞者を導くゆえでしょう。その空想の風景は完成であり、人に依存し
それぞれの心象風景であるゆえに至上の美なのでしょうか。





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最終更新日  2006.01.08 23:42:30
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