カテゴリ:子供たちのこと
日記リンクさせていただいているkokoroさんのページを読んで思い出したことを書きとめてみたいと思います。
私が始めてホームページを持ったのは約10年前、息子が生まれてまもなくのころのことでした。 世間はWindows95の発売でお祭り騒ぎで、秋葉原では夜中にサラブレーションが行われたほど。(と言うと年齢が、、、笑) でその勢いののって私も初めてのmy computerを購入。 そしてホームページを作ろうと思ったのは、私の周囲にいる人すべてに感謝したい気持があふれかえってきたからでした。 そのころは元夫との結婚生活真っ只中でしたが、何かしらいつもトラブルがあった生活でした。 一番大きかったのは義母のくも膜下出血。 私の3月の復職を直前の夜中11時、突然電話義母からがかかってきました。 「何かおかしいんだ、来てくれる?」 すごく強い人で滅多なことでは弱音をはかない、 そして助けて欲しいなどと言わない義母が こんな夜中に電話をしてきて手助けを求めている。 ただ事じゃない 震える手で当時5ヶ月の息子Hを抱えて 夫の実家へ急ぎました。 車を飛ばして飛ばして 普段は40分くらいかかるところを 20分で到着。 玄関に義母が倒れていました。 直ぐに救急車を呼んで 思いがけず来てくれるまでに時間がかかり 息子を抱きながらどうしようも出来ずに ただただ義母にくっついていました。 看護婦なのに何にも出来ないんです。 病院へ運ばれてみると 義母はクモ膜下出血でした。 助かるのは30%の確立でしょうと言われて手術が始まり 夫の兄弟姉妹へ連絡しました。 「仕事があるからなぁ」 なんていう呑気な返事を聞いたとき 私は信じられませんでしたが これが何もかもの始まりでした。 そしてその日の朝、あのオウム地下鉄サリン事件が起きたのです。 兄姉はそのころ新宿に住んでいました。 しかし彼らは車を使っていたため問題ありませんでした。 結果を言ってしまえば 義母はこの時1ヶ月の集中治療室を経てかなり回復しました。 集中治療室にいる義母を抱えて、 そして4月からの復職を目の前にしていた私は 悩みながら、それでも復職の道を選びました。 はっきり言って大変な毎日でした。 乳児を抱えての3交代勤務、と言うことを想像しただけでも大変なのに 更に付き添いの必要な義母を抱えていました。 毎日、病院から保育所、そして病院への行き来だけで寝る時間もありませんでした。 この時私は人生で最高に体重を落としてしまいます。 やっぱりがんばったんだなーって今でも思います。 そしてそんな時に 支えてくれたのは職場の仲間でした。 今でも忘れません。 日勤が終わって深夜勤に出る前 義母の病院で寝るまでつきそいをして そしてその足で息子だけ家においてまた仕事のために病院へ行きました。 そんな私の生活を知ってか知らずか 自分の休憩時間をくれて私を寝かしてくれた先輩。 元夫の仕事が朝早いので 保育園までの間息子を預かってくれた友人。 みんなに助けられて生活していました。 自分ががんばっているとみんな手を差し伸べてくれます。 本当に感謝の毎日でした。 息子と言う天使を授かり(そのときは天使だった・笑) そしてたくさんの天使たちを知ることが出来ました。 そんな私の初めてのホームページの名前は 「天使がいるよ」でした。^-^ いつも思います。 自分が選んだ道、歩み出せば必ず手は差し伸べられると。 いや、なんていうか宗教ぽくなってるかな?そういう意味ではないんですけど 人間って捨てたものじゃありません。 そして自分も もし人に手を差し伸べることが出来れば 自分がたくさんそうしてもらったように、 少しでも力になることが出来れば、と思っています。 kokoroさんのゲーテの話を読んだとき 久しぶりに昔の自分を思い出しました。 昔は随分多忙な日々を送ったので 今の平穏な生活に慣れるまで時間がかかりました。 なんというか、貧乏性なんですよね。 平和すぎて穏やか過ぎて心配がなさ過ぎて心配。笑 高校生のころ少しかじったゲーテを読み始めてみたいな、と思いました。 そして今、ドイツにいる私。 これも何かの縁と感じずにはいられません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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