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覚え書き その4

2000年の知事選について

★★長野県知事選挙雑感

全国的にも注目を集めた長野県知事選挙が10月15日に行われた。結果は元副知事の
池田氏を新人の田中康夫氏が10万票以上の大差で破るというものあった。

多くのメディアが取り上げているとおり、池田氏は早くから出馬を表明し、既に4月の
段階で県議会議員や市町村首長の大多数の支持を得て磐石な選挙体制を確立していた。
そして無風のままで吉村県政は禅譲されていくはずだった。しかし、県下財界トップに
よる田中氏擁立と氏の立候補によって事態は一変する。

こういったトップダウンの知事の決められ方(あるいは公共事業を中心とした利権構造
が見え隠れする旧体制)に対して想像以上に多くの県民が抵抗感を抱いていたのかもし
れない。選挙は「官僚」対「民間」、「トップダウン」対「草の根」、「組織動員型選
挙」対「インターネット勝手連」そして「世代交代」といういくつかの対立構造を浮き
彫りにし、その結果として開票開始30分で当確が報道されるという大逆転劇が起こった。
 
しかし、それにしても、だ。これほど大差で田中氏が勝つとは思わなかった。
 
なにしろ県議や首長が池田氏の後援会の主要なメンバーなものだから、それにわざわざ
反旗を翻し田中支持を公に表明しようとする人は少なく、田中氏支持の盛り上がりがな
かなか表面化してこなかった。それよりも「長野県の民主主義のために!」と早くから
田中氏支持を表明するという”勇気ある”行動をとった頭取のいる地元有力地銀の八十
二銀行にはいろいろな方面から圧力が働いたなどいう噂が流れたり(後にそれらの圧力
はなかったと否定された)、やはり会長が田中氏支持を表明した県下大手書店の平安堂
に政治団体が街宣車を乗りつけて抗議をしたり、田中氏への中傷ビラが流出したり・・、
なんだか重苦しく「物言えば唇寒し」という閉塞感が高まっていた。一方で池田陣営は
大量動員を繰り返していた。

だから蓋をあけて、驚いたのは私だけではなかろう。そして池田氏を支持していた県議
や首長たちは愕然としたことだろう。サイレント・マジョリティが出したこの結論は吉
村政権継承へのNO!と同時にそれを支持していた彼らの政治手法に対するNO!を突き
つけているのだから!(民意と乖離しすぎている「裸の王様」か?)。 
 
田中氏のPG日記を毎月読んでいると、氏がもの凄く頭の切れる人だと分かる。だから
彼に対して個人的には共感できない面もいくつかあるが、それを差し引いても、その行
動力や判断力には大きな期待を寄せている。頑張ってほしい。
 
いずれにしても、新知事の田中康夫氏が県政に新風を吹き込んでくれるのは間違いない
だろう。既に氏は「公共事業の見直し」、「長野オリンピックの帳簿紛失問題再調査」
など期待できる公約を明言している。

ところで、総理大臣も国民が選べたらいいのにね。今の首相どう?

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追伸:田中新知事の就任初日の10月26日、県幹部の企業局長と農政部長が、まるで新
知事に喧嘩を売っているかのように感情的に文句を言ったり、名刺を折り曲げたりして
いる場面が全国放送のTVで放送されました。それらの報道を見て長野県庁にはその職員
らに対する非難や抗議が殺到したそうです。行政マンと新知事が県政について主義主張を
ぶつけ合う理論的な対立や議論なら、それだけで田中新知事が当選した価値があったとい
えると思います。しかし、感情的な対立では・・・・・なんだか情けなくなりました。


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2002年の出直し知事選について


★★第30号「田中氏再選をめぐる奇妙な議論 」
(2002年9月12日、松尾 眞)

京都精華大学 環境と政治 メルマガ「小泉純一郎を斬る!」 バックナンバー 第30号

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今回のマガジンは本来ならば議論すべき(したい)テーマが多くある。「9・11テロ」から
1年という問題、小泉首相の訪朝、ヨハネスブルグ・サミット等々である。が、この間の経緯
もあって、長野県知事選での田中康夫氏再選の問題に絞って議論をしたい。

■マスコミの流儀?

田中氏の圧勝であった。繰り返すまでもないが田中氏の得票は80万票を超え、対抗馬・長谷
川氏に対してはダブル・スコアであった。

私は珍しく9月2日の朝刊各紙を買い集めて、その論調を読み比べてみた。たしかに田中氏
への距離感という点で一定の違いは見られた。たとえば「朝日」と「産経」ではそうである。

しかし、どちらかと言えば、全紙がある論調で共通していることの方が目立ったように私は
感じた。それは、「田中氏に投じられた票は無条件の支持ではない。条件付きの信任だ」と
いう論調である。もちろん、この論点をめぐっても各紙の間で一定の温度差はあるが。

ここには「(日本の)マスコミの流儀」というものがあるように思われる。「勝者」に対して
「一定の批判的ポーズ」をとることで、なんらかの「批判的機能」を果たしえているかのよう
に装う、ということである。たしかに、今回の選挙で田中康夫氏に票を投じた長野県民のこと
ごとくが田中氏に全幅の信頼を寄せたというわけではないであろう。そのかぎりでは新聞各紙
の論調は間違っていないと言えよう。また、ジャーナリズムはたえず批判的な視点をもって社
会的事象を分析することを本来的使命としているものだということもある。

だが、私には「何か違うぞ」という感がしてならないのである。

「朝日」の8月末の「論壇時評」で藤原帰一氏が総合雑誌等での田中康夫論と石原慎太郎論の
違いを指摘していた。藤原氏によれば、田中氏には辛く、石原氏に対してはベタ誉めに近い評
価だというのである。私もそういう感を抱いている。

そこで、長野県知事選後の報道のことを考えると、上に紹介した論調は「批判的な視点をもっ
て社会的事象を分析する」ということよりも、既存の日本社会システムにとって異質な存在と
しての田中康夫(流)への冷ややかな視線を示していると見る方が妥当なのではないかと思う
のである。

■「暴走が危惧される」?

そうした中で今週日曜日(8日)の「サンデー・プロジェクト」での長野県知事選特集(同番
組としては長野県知事選に関して5回目の特集)を見た。同番組は田中氏に対して比較的好意
的なスタンスをとっているが、今回の特集は無様な敗戦を喫した県議団を密着ルポした内容と、「田中支持陣営に“異変”」という内容の二本立てであった。

その後者の内容であるが、田中氏を2年前の知事選から支援してきた中心人物などの中に、田
中氏の政治姿勢への危惧が増大しており、それらの人々が田中氏に種々の注文をつけていると
いう内容のものであった。そして、そうした人々は「今回の知事選では田中氏は圧勝しない方
がよい。辛勝がよい。圧勝すると田中氏が暴走する心配がある」という考えであることが紹介
された。

私は田中康夫氏という人物とは直接の接点はなく、また長野に住んでいるのでもないから、田
中氏については、私よりも田中氏の近くにいる人々(番組でインタビューに応じている人々)
の方がよくご存知である。そうした人々の人物評はおそらくはかなりの程度正しいであろうと
思う。(ついでに言えば、私は田中康夫氏の「脱ダム宣言」等の政治理念、政策を評価してい
るのであって、彼が人物的に好きだというわけではない。TVで見る彼の表情などには私好み
でないものが結構ある)

「田中氏が暴走する心配がある」という懸念にもおそらく相応の根拠があるのだと思う。

しかし、マス・メディアが知事選直後の特集で、このことをクローズアップすることには賛成
し難い。こういう番組内容が出てきていることの意味を考えてみよう。

知事不信任→知事選というプロセスでは、マス・メディアは「知事←→県議会」という構図を
クローズアップし、「両者は県政の車の両輪。お互いに対話、調整が必要」という論調を基本
にしてきた。ところが、県知事選での田中圧勝という結果は、県議会の威信を決定的に崩壊せ
しめた。もはや「知事と議会は県政の車の両輪」論で田中氏を牽制することはできなくなった
わけである。

そこで、マス・メディアは田中支持陣営内部の「危惧、不安」に飛びつき、クローズアップす
るところになったのである。

<知事と議会の関係はどうあるべきか>

しかし、よく考えてみれば、首相が国会で指名される国政とは違って知事が直接選挙で選出さ
れる地方自治体においては、まさに議会が知事に対するチェック機能を有しているのである。
言いかえれば、「知事と議会は県政の車の両輪」論はいささか不正確かつ不適当であり、本来
的には「知事と議会はチェック・アンド・バランスの関係にある」と言うべきなのである。

つまり、田中氏圧勝という選挙結果が出たいま、ある意味で最も重要なことは「議会をいかに
再建するか」という問題だと言えるのではないかと思うのである。

振り返ってみれば、1970年代後半あたりからであろうか、いわゆる革新自治体の後退・消滅
と共に、地方自治体では首長選挙をめぐって「与野党相乗り」が状態化し、議会はオール与党
体制となった(共産党が野党にとどまるケースが多いが、大勢には影響ない)。議会は首長に
対するチェック機能を失い、翼賛機関化し、議員は首長が編成する予算に伴う利権に群がるハ
イエナ集団と化してしまったのである。その結果、当然のことながら、議会は政策立案・形成
能力を喪失してしまった。したがって、長野県の場合でいえば、田中氏の「脱ダム宣言」に対
して、政策論争をすることもできず、ただただ利権防衛のために知事不信任、すなわち県知事
ポストという権力をめぐる抗争に訴える以外になかったのである。

知事というポストはたしかに大統領型の権力であり、大きな権力を有する。したがって、「暴
走」や「独裁」の危険を伴う。この危険を回避する道(方法)は2つあると思う。

1つは、すでに述べたように議会が真の意味でのチェック機能をもつ(回復する)ことである。

<自律性を有する市民の公共空間>

もう1つは、有権者=市民が自律性をもつことである。われわれが選挙で首長や議員を選ぶ場
合、「白紙委任」をするわけではない。これはなにも長野の田中氏の場合にかぎったことでは
ないのである。では、「白紙委任ではない」ということは、どのようにして担保されうるのか。有権者でもある市民が、選挙に際して「勝手連」的に候補を支持するだけでなく、選挙時以外
の時に政治、政策について議論する公共空間を形成し、政治権力(ポストに就いた人物)に対
する批判力を確保することである。「批判力を確保する」とは、必ずしも常に批判するとか、
敵対するとかいうことを意味しない。選出された公職者の後援会ではなく、自律性を有した独
自の政治的討議の能力と空間を形成するということである。徳島では4月の知事選で大田氏を
推した「勝手連」が選挙直後に解散し、その後、大田知事の後援会ではないことを明確にした
「民主主義のがっこう」という新しい「運動体」を結成したが、私はこれは非常に注目される
べき新しい試みであると思う。

マス・メディアの話に戻れば、「田中陣営内部の“異変”」云々の話は、以上のような考察に
ふまえたものとは評価できない。「その時々にニュースにしやすいネタ」探しに明け暮れるの
ではなく、もう少し踏み込んだ考察に基づいた報道を望みたいと思う。

■「長野モデル」の真剣な検討を

さて、知事選後の報道をめぐって、もう1点、指摘しておきたい。

田中氏が進めてきた「改革」=「長野モデル」に関する議論があまりにも希薄(ないし皆無)
だということである。

選挙期間中のマス・メディア報道では、以前のマガジンでも指摘したように、田中氏の「脱
ダム宣言」-下諏訪・浅川両ダムの建設中止の政策は「選挙争点」ではないとされ、「政治手
法が争点だ」とされてきた。しかし、選挙後の報道では田中氏の選挙活動の密着ルポ等を通じ
て、長野県民が田中氏の改革政策への評価をこそ投票の判断基準としていたことがあきらかに
なっている。また、外国のマス・メディアがかなり多数、知事選の取材に駆けつけていたこと
が、これまた選挙後にあきらかにされている。海外のメディアが1つの地方県の「知事と県議
会の抗争」にそこまでの関心を抱くはずもなく、彼らが田中改革-「長野モデル」に注目して
いたことはあきらかであろう。

田中氏が「スウェーデン・モデルの日本版」を目指していることは本人の口からもあきらかに
されており、マス・メディア関係者には周知のことであろう。が、選挙後の報道でこのことへ
の積極的言及があったのは、たしか「朝日」であったと思うが、神野直彦氏のコメントだけで
あった。

スウェーデン・モデルが日本の改革の唯一のモデルだとは思わないし、またスウェーデン・モ
デルがすべての面で理想だとも思わない。が、少なくとも現在の日本社会のあり方はスウェー
デン・モデルとは本質的に異なるものである。そして、いま、日本社会に求められていること
は、環境破壊を省みない経済成長主義オンリーでやってきた戦後日本とは本質的な点で異なる
スウェーデン・モデルを1つのオルターナティブ案とするようなレベルでの改革である。

であれば、「脱ダム宣言」をはじめとして田中氏の改革政策(そのかなりの骨格は選挙戦過程
で示されている)を内容的に検討、論評する作業が、マス・メディアには求められていると言
わねばならない。それを「改革の理念はよいが、政治手法が稚拙」といった論評にすりかえる
ことは許されない。

この点に関して興味深い発言2つに言及しておきたい。

1つは田中氏のもので、田中氏よりもずっと政治的に熟達しているとマス・メディアで評価さ
れている何人かの知事について問われたときの田中氏の答えである。TVで流れた発言だった
ので正確には再現できないが、田中氏は「どこかで曖昧な妥協をしていないのだろうか」とい
う趣旨のことを言っていた。私は実状を知らないので田中氏以外の「改革派」と呼ばれる知事
の具体的な活動を論評できないが、田中氏の発言には説得力を感じた。国政経験者や元中央省
庁出身者の人は政治手法に熟達しているであろうが、既得権益を有する人たちとも「うまくや
っていく」術を心得ていることは、彼らの改革が永田町-霞ヶ関に許容される範囲内に留まる
可能性にもつながるのではないだろうか。

もう1つは長野市長の発言である。彼は田中氏のダム建設中止方針をめぐって、「建設を止め
るという事前の話が地元にすらなく、いきなり記者会見で発表した」と田中氏を非難していた。「事前に話」されれば、長野市長はダム建設中止を受け入れたのであろうか。「頭越し」、
「根回しなし」でないと、ダム建設中止など全く不可能という恐るべき利権権力構造が存在し
ていた(いる)ことこそが徹底的に、具体的にあきらかにされる必要があろう。その意味では、「“壊す”から“創る”」は正確には「さらに徹底的に“壊す”と“創る”の同時並行作業」
が当面する長野の課題となるのではないだろうか。








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