うるとびーずの ♪MY LIFE AS AN OKKAKE♪

2003/08/16(土)17:56

バイクのエンジンがかかりました!

久々にバイクのエンジンがかかった。私のバイクのエンジン音を聴いたのは何と一年ぶりのこと!去年の7月、イギリスへ行く直前にバイクを買った。それまでもずっと乗らなくても持っていたバイクを手放したのが1998年ころだったかな。YAMAHAのSERROW225。長野に来たらバイクにガンガン乗ると思っていたら、意に反してこっちでは車ばかりになっちゃって、バイクに乗るのは年に数回。夏も夕立が怖くて、なかなか乗れなかった。東京に住んでいた頃は、長野に来るのはほとんどバイクだったのに。私が初めて乗ったバイクはKawasaki Z200。とても小振りで燃費抜群の単気筒のバイク。はじめの数年はノーマルのまま乗っていたのだけれど、私が事故って前半分を壊してしまったのを機に英国車マチレスを意識してカスタム化。その姿はとても美しくて、当時のバイク雑誌にも載ったりしたんだよ。このバイクでは本当によく走った。文字通り、当時の私の足だった。大学の通学ももちろんバイクでした。当時はまだ女性のライダーは少なかったから、ヘルメットを抱え、バイクブーツでキャンパスを歩く私の姿は、けっこう目だっていたかもしれません。その頃バイクでよく走った道。R246、R20、世田谷通り、早稲田通り、府中街道、青梅街道、環六、環七、環八、一国、第三京浜、横浜新道、西湘バイパス‥‥‥天気のいい日は必ずバイクで走っていた。大学へ向かって家を出たはずなのに、なぜか湘南の海にいたり、相模湖にいたり。長野にはツーリングでよく来たし、佐渡にも行った。富士山麓もよく走ったっけ。一番遠いところでは三重県の紀伊長島まで走った。そこには大学で所属していたツーリングクラブの合宿所があって、夏には鈴鹿の8耐を観るのが慣例だったから。北海道ツーリングも計画したのだけれど、その年には大型台風直撃のために中止になり、それっきり北海道に行く機会は失ってる。今でも一度は走ってみたいと思っている。Z200のあとに乗ったバイクはDT125、SRX250、AG200、SERROW225(全部YAMAHA)。でも、Z200ほどピッタリ来るバイクには出会えなかった。ホントにあのバイクは私の一部といってもイイほどピッタリなじんでいたから。そして去年、Yahooのオークションで見つけてしまった。Kawasakiのエストレアを探していたら、偶然目に入ったZ250KHというバイク。「え?これってZ200?」思わずそう思ってしまうほどよく似ていたの。もうほとんど衝動買いでしたね。(笑)。山形から運ばれてきたこのバイク、もちろんすぐに乗り始めたんだけれど、いくつか手を加えられてるところをノーマルに戻そうと考えたのが間違いだった。バイクに詳しい東京の友人が遊びに来た折りに、改造(?)に手をつけてもらった。テールライト、ウィンカーまではよかったの。ハンドルをはずし、ヘッドライト、ニュートラルランプやタコメーターなど、計器のステイ部分に手をつけたところ、な、なんと、トップブリッジが割れた‥‥‥軽く締めただけなのに、パキッと音がして。もう、みんなして目が点でしたね。なんでこんなところが割れるの???あわてて元の持ち主に電話してみたところ、なんとなんともう片方のブリッジ部分も割れて、彼もアルミ溶接したのだという。よく見てみると、あら、ホントだ。今回割れたのは左側、そして右側にもしっかり溶接のあとがある。よーくみたらブレーキペダルにも。(怖!)実はこのバイク、中国の黄河社と日本の川崎の提携開発車で、部品はほとんど中国製とのこと。道理で納得。さすがに中国製、粗悪品です。というわけで、ノーマルに戻す作業は中断、とりあえず溶接屋さんに修理を依頼して、私のバイクは分解途中で放置されたのでした。トップブリッジのアルミ溶接はすぐ出来たものの、友人が帰ってしまったらその先の作業が出来ません。夫もバイク乗りではあるけれど、バイクをいじる方は得意じゃないのよね。え?私ですか?ごめんなさーい!全くのメカ音痴です。というわけでそれから一年。昨日再び遊びに来た友人に去年の続きをやってもらい、やっとエンジンがかかったというわけ。ああ、なんてかわいそうな私のバイク。エンジンはかかったものの、バッテリーはかなり弱っているし、キャブレターも分解掃除しなくてはいけないし、ポジションランプも切れているうえ、規格外なので注文しなくちゃならない。まだまだまともに走れるようになるにはお手入れが必要だわ。早くバイク屋さんにいかなくちゃ!‥‥‥しかしこんな間抜けな話、とてもはずかしくて、本物のバイク乗りのみなさんにはとても聞かせられませんよね。ねぇ、ヒューさん、ヒナさん?(笑)

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