うるとびーずの ♪MY LIFE AS AN OKKAKE♪

2019/05/26(日)07:02

1945年5月25日 南部撤退

大切なこと(305)

今から74年前の今日、1945年5月25日に ひめゆり学徒隊はそれまで勤務した南風原から 沖縄県南部へと撤退を開始します。 4月に沖縄本島に上陸した米軍は、 5月下旬には日本軍司令部のある 首里(現那覇市)に迫っていました。 沖縄陸軍病院南風原20号壕の内部。 ここが野戦病院でした。 ひめゆり学徒たちはここで負傷兵の看護にあたりました。 当時の手術は放っておいたら壊死してしまう手脚を 切り落とすだけのものでした。 麻酔も十分にない中での手術。 暴れる兵隊を押さえたり、 切り落とされた手脚を壕の外に運び出したり、 それらも15~19歳だった ひめゆり学徒たちの仕事でした。 今、壕の中には何の臭いも残っていませんが、 当時は血や膿、排泄物、体臭、薬品など それらの臭いが混ざり合い、 耐えられないほどの悪臭が充満していました。 南部撤退時に、 持っていけない薬品類は木箱に入れて埋めていきました。 米軍に取られないため、 あるいはあとで取りに戻ろうと思ったのかもしれません。 でも南部で悲惨な最期を迎えた沖縄戦。 これらの薬品は使われないまま、 戦後、土の中から発見されました。 南部撤退時、 自分の力で歩けない重傷患者はここに取り残され 彼らには青酸カリ入りのミルクが配られました。 多くの兵隊がそのミルクを飲んで 苦しみながら死んでいきました。 「お前ら、それでも人間か!」と 怒鳴る声も聞こえたそうです。 たったひとり、京都から召集された兵隊が ミルクを吐き出して逃げ延び、 戦後、青酸カリ入りのミルクを飲まされたと 証言しました。 たった74年前の出来事です。 忘れるにはまだ早すぎる。 日本の戦後はまだ続いています。 戦前に戻してはいけません。 ​「1945年5月25日 米軍、那覇に進撃」​ ​「沖縄陸軍病院南風原壕」​​ ​「糸数アブチラガマ」​

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