ネットでもカリタスのこと
いろいろ言われているけれど、
卒業生の書いたこの記事が
いちばんカリタスを言い得ていると思う。
愛の学校。
それがカリタスだったよ。
そして今も。
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どうしてカリタスなの?
カリタスは私の母校である。
そして同小学校には
同級生の娘さんたちも通っている。
亡くなられたお嬢様、
保護者のお父様、
学園の子どもたち、
ご家族、先生方のことを思うと
今も心が痛くてたまらない。
カリタスとはラテン語で「愛」を意味する。
カトリックの精神に基づいた学校であるのだが、
そんな難しいことはまだわからない子どもたちに
「カリタス=愛の学校だよ」と
今は亡きカナダ人神父が
いつも言っていたことを思い出す。
愛とは男女の情愛ではなく、
他人を自分のことのように思う
「愛」である。
「他人を自分のように愛しなさい」
そう教えられてきたであろう
子どもたちを突き刺した刃。
無辜の人々の命が突然絶たれてしまう理不尽。
それは愛の精神を大切にしてきた
学園そのものに突き立てられた刃のようで、
打ちひしがれる思いがした。
お祈りやボランティアをする暇があるのなら
他人を疑い、不審者を見分ける術を
身につけるべきだったのか?
(中略)
カリタス学園の教育は、
他人を自分のように愛することで
社会の分断をつくらない、
生きづらさを抱えた人に寄り添う、
教育であったとあらためて思う。
(後略)
ノンフィクションライター
飯島裕子