2009/02/25(水)12:06
越前記内鍔
昨年、刀剣春秋新聞社発行の通販誌【愛刀】廃刊についてこのブログでも触れましたが、先日管財人の弁護士より刀剣春秋社発刊の一冊の書籍が送られてきました。
年間の購読料を前払いしていましたので債権者になるそうで、その債権の代わりとして所有の書籍が送られてきたようです。
書籍は【越前記内鍔】と題された越前記内についての研究書でありました。
私は刀装具については余り詳しくはありませんが、拵えを造ろうとして鍔も何枚か所有しています。高価なものはありませんが其の中に【越前記内】在銘の鍔が4枚ほどあります。
そんなこんなで興味深く拝読いたしました。読み進んでいるうちに所有の一枚と全く同じ図柄の鍔が掲載されていました。
掲載の鍔は地鉄が鉄、所有の鍔は地鉄が赤銅の違いがありますが、寸法、構図共に全く同一で瓜二つです。書籍の押形に合わせるとピタリと一致します。
写真の上に鍔を置いて撮影しています。
記内各代でも、この入記内銘の鍔が特に珍重され、後世名人記内と呼ばれたそうです。
記内の、内の字の三画と四画を【入】ときる工は五代と七代記内がいるようですが、この判別は作の切り銘の三画と四画にあるようです。七代記内は掲載の写真のように【人】の字のように切り五代は通常のようにきります。刀剣柴田発行の通販誌(麗)の3月号に鮑の図鍔に入記内の銘がありますが、之が五代の銘と言われているものようです。
この書籍を見ますと、越前記内一派は室町末頃の江州記内に始まり、越前に移住し幕末の名人記内と呼ばれた七代高橋記内まで、300有余年も続いた一大流派であります。
其の為に、記内鍔には量産品と思われるものなど数多い作品が残されていますが、総じて実用的な鉄鍔に終始しているように思われます。
掲載の貝尽くし透かし鍔は素材赤銅ですが、同じ形より切り出したと思われ記内工房作と考えられる物です。この鍔を入手した時は正真かどうかもわかりませんでしたが、銘振りが偽物とも思われず値段も安いところから入手していた物です。
この一大流派記内の名跡は明治の廃刀令でその生活基盤を失い、名人記内と呼ばれた七代記内も前途を悲観したのか酒に溺れ、妻子を残し諸国を放浪したと伝えられ、子孫の行方、存在すらもわかってはいないようです。
時代の流れとはいえ、この激動期に遭遇した刀職者たちの行く末はあまりにも悲惨な事例が多く、著名な刀工と言えどもその墓さえも判らないと言うことも良く聞きます。
刀工や、まして鍔工の調査研究は容易ではありません。私はこの書籍を見るまで、記内の代別や事跡など全く知りませんでしたが、今回ひょんなことで非常に参考になりました。