刀の価値【その弐】
刀の価値と言うことについて、少し考えさせられる事があったので改めて考えてみました。此の事に付いては、此のブログの表題にも関係してきますので、見過ごすには出来ないと思ったからです。家伝の刀を研ぎに出そうとする時の事です。【此の刀は価値がないから研いでも無駄ですよ】と言われる事があります。砥師が観た商品としての価値は無いかも知れませんが、其の人にとっては、先祖代々伝わる大切な刀なのかも知れないのです。例え酷く砥ぎ減って傷が有ったとしても、かけがえの無いものかも知れないのです。私達は刀を観る時、商品的な価値ばかりを見ようとしますが、其れは間違っているのではないかと,最近つくづく思うのです。過去、名刀の価値とは【特に無銘の場合ですが】で、評価は鑑定書等で決まってくるのは納得できない事もあって、その様な事をブログに記載しましたが、今回は視点を変えて、自分の心の中に何時までも、鮮やかに記憶として残っている日本刀が有るのではないかと思い、此のブログに記載しています。勿論日本刀に限らず、其れは時計であったり、万年筆であったり、思い出と共にいろんな品物があるでしょう。幕藩時代、身分の低い武士が持てた刀は、殆んどが名も残らない地方の郷土刀工の作です。拵えも真に質素な物であったようです。過去,此のブログに記載した【荒木又右衛門】の刀の拵えは真にみすぼらしい物であったと、実見した武士が書き残した古文書も残っています。その様な刀が、代々大切に伝わって来ても商品的な価値は低いものです。しかし、大切に護ってきた人々にとっては、何物にも換えがたい宝物、家宝でもあります。先の大戦で、戦死された父上の形見の軍刀が米国より返還されて、遺族の元に返ってきたと聞いたことがあります。刀其の物は、当時造られた素延べの昭和刀だったそうですが、父親の只一つの形見として代々伝えてゆくとの話を聞いたことを今思い出しています。先にも書きましたが、私達は刀を観る時、まず刀の出来を見て其れから銘を見ようとします。銘の判別が出来れば、次に口には出しませんが、どれ位な価値なのかと考えるのではないでしょうか。商売人でなく愛好家であっても、其れは同じなのではないかと思っています。私も刀に対しては、金銭的な面では見ないように心掛けていますが、心の片隅にはその様なこともあるかもしれません。例え、傷や研ぎ減りが酷かったり、素延べの刀であろうと、造られた経緯や所持された人達のことを考えれば、其の時代の証人として伝えていくべきではないだろうかと最近つくづく思うのです。