2005/03/14(月)01:29
縄文の息吹に触れてきました
町田のプラネタリウム「スターホール」へ行ってきました。
星が好きなのでプラネタリウムも楽しみではあったのですが、
「縄文の記憶~町田のストーンサークルを訪ねて~」という
プログラムを知人に紹介され、興味を持ったのでした。
世界の歴史や遺跡、神話関係もけっこう好きなんです(^_^)
京都にいたころ、社寺や古い街並み・建造物を目にしたり、
立ち入ったりする経験はよくありましたが、街中で出会うのは
せいぜい明治維新前後の史跡類とか、室町の名残とか、
そこそこ「文化」が発達し、洗練されたモノたちでした。
奈良まで足を伸ばせば、飛鳥時代の名残を目にしたり、
空気が濃く、人から遠く離れた「聖地」のような雰囲気の場所に
出会うこともありましたが、縄文・弥生などの古代に触れるには
歴史の教科書を読んだり、博物館のガラス越しに、展示された
土器・石器や土偶を目にするくらいのことしかありませんでした。
その縄文時代に関するプログラムが、博物館や美術館でなく、
プラネタリウムというファンタスティックな場所で上映されるなんて
面白そうだな、ぜひ見てみたいと思ったのです。
そのときの私にとって「プラネタリウム」と「縄文時代」というのが
まるでショートケーキが縄文土器に盛り付けられたかのような、
妙なギャップというか、意外性を感じたのでした。
+ + + 会場で配られた資料 + + +
+ + + ストーンサークルの拡大 + + +
でも、このプログラムを観終ってみて、そうではないと知りました。
古代の人たちは、いまの私たち以上に、太陽や月・星の運行、
四季の移り変わりと密接に生活していたのですね。
古代の人たちが目にした星を、プラネタリウムの満天の星空を
通じて共有できたようで、神妙で不思議な思いに包まれました。
プラネタリウムでこのような企画をやったのはよかったと思います。
また会場では町田市から出土した縄文土器・石器のかけらが
展示されており、手にとって触れることができました。
石器は冷たくずっしりとしていて、土器は素焼き壺を連想させる、
軽くて素朴なあたたかな感じがしました。
縄目模様のものだけでなく、弥生時代の土器のように、
幾何学的に彫られた模様がついているものがあったのも
印象的でした。年表上は時代を区切って学んでいますが、
時の流れとしてはつながり、交差しているのですね(^_^)
上映内容はうまく説明できませんが、ざっとまとめてみると…
町田市の新成人「二十祭まちだ」実行委員会のメンバーたちが
町田市の「田端環状積石遺構」という東京都指定遺跡を訪ねたり、
この遺跡について取材する様子をまとめたドキュメンタリーと、
縄文時代の人々の暮らしをまとめた資料的な映像から構成され、
彼らと同じ視点で、縄文時代について、この遺跡について、
学んだり、驚いたり、感動したり、しながら楽しめるプログラムでした。
「田端環状積石遺構」は1968年に発見された遺跡だそうです。
今から3500年前、縄文時代後期に土壙墓・周石墓から成る
共同墓地が作られ、その後祭祀の場としてストーンサークルが
形成され、縄文時代晩期まで使われていたと考えられています。
遺跡からは、副葬品と考えられる鉢形・注口土器や耳飾りのほか、
祭祀に関連する石棒・石皿・大珠などの石器・土器が出土しており、
当時の埋葬や祭祀に関る精神文化を知る上で重要な遺跡らしいです。
京王線多摩境駅から徒歩5分、遺跡からは南方に丹沢山地や
富士山を眺望できるそうです。天気のいい日に行ってみたいです(^_^)
冬至の日には蛭ヶ岳山頂に夕陽が沈む様子を観測できるそうで、
これはこの地に遺跡が作られた理由と関連すると考えられています。
毎日のぼっては沈んでいく太陽。その姿に縄文の人々は生と死を
繰り返す「再生」の力を感じ、ここに墓地を作ったのではないか、と…。
冬至の日、次第に山の頂きと姿を重ねていく太陽を見ながら、
祈りをささげていたのではないか、と…。
残念ながらこのプログラムは今日が最終日になっており、
興味を持たれてももう見ていただくことはできないのですが、
「田端環状積石遺構」はまだ訪ねることができるそうです。
ただし、町田市は2005年に史跡公園整備を行い、
劣化が著しいストーンサークルを埋め戻して保存し、
その上にレプリカを作成して展示する予定だそうです。
具体的な日程はわかりませんが、埋められてしまう前に
首都圏にお住まいで遺跡や古代史に興味があるかたは、
多摩境まで足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。
会場で配布された資料に記載されていた連絡窓口を転載します。
こちらで、史跡公園整備予定もわかるかもしれません。
町田市教育委員会社会教育課文化財係 042-724-2554