2010/07/31(土)16:23
学生決闘なんていう学生文化(風習?)がありました( ̄  ̄;)日本人学生が植えた日本杉が今でも残ってます
自宅のドアに飾るクランツ(↑画像左)を作ったんです、でも、
昨日も、テーブルの用クランツの日記、だったですよね?
それに・・・、気がついたけど、過去日記を見ても、
この時期の私の日記は、クランツの記事ばかり、じゃないですか?
それに、・・・よく考えてみれば、私は花屋さんではないんだよ~。
なんだか、日記が、ドイツの年寄りのくりごとみたいな雰囲気になっているので、
今日は、ほかの事を書こうー!
クリスマス日記なんか、やめだぁ~!!
脱線です。
画像↑は、ドイツの自宅から3分の所にある精神病院の一部で
建物は古く、昔は、大学の医学部の一部だったそうです。
ここは、広大な庭があり、ハリウッド風サナトリウムそのままなんですよ!
いつも、人影は皆無です。
同じ時代に建てられた大学の建物が、大きな敷地の中にいくつも建っています。
現在、そのうちのいくつかは、個人の住宅として使われているんですが、
それらは、静かな森の中の散在する、洋館っていう雰囲気で、この季節は
なんか、さびしいなぁ~。
私の家のすぐ近所だから、散歩で行きますけど・・・。
大昔(明治の初期だけど)、この建物では、、日本人学生が医学を学んでいたそうです。
毎年、日本から一人?とか来たらしい。
そして、その頃に、日本人学生が植えた日本の杉が何本か今でも残ってます。
ドイツには、日本の杉はないので、奇異ですよ。
その頃は、ドイツでは、医学だけでなく、いろんな学部で日本人学生が
学んでいたそうです。
面白いのは、
当時、ドイツでは、大学は、警察の権力の及ばない、治外法権の場でしたから、
いまでも、ハイデルベルグ大学なんかに残っているんですが、
学生牢なんかがありました。
これは、1914年(大正3年)まで実際に使われていたそうです。
それから、今日、お話しようと思ってる、
『学生決闘』なんていう、学生文化(風習?)なんかが、ありました。
決闘といっても、ある程度、はったりみたいなところもあったらしいですけど、
万一、決闘をしても、対戦相手のいずれかの血を見ることにより、
介添人が仲介を入れて、ほぼ円満に終結するといったものだったそうです。
それに、通常、『○日決闘!』が決定すると、
必ず誰かが、仲裁にはいるので、
それを期待して、決闘を申し込むわけですね。
そおすれば、両者には、名誉だけが残るわけです。
『俺は、決闘した!』、っていうことが、ステイタスだったんですね。
決闘経験がないと、大学のあるクラブには入会できなかったり、・・・
男の勲章みたいな、誇り、意地、なんですかね。
いやだなぁ~!。
ここで、ある日本人留学生の話になります。
彼は、ちょっとしたことでドイツ人学生に決闘を申し込まれてしまい、
言葉とか、風習を知らないために、その申し込みを、うまく避けることに
失敗してしまいました。
周りの、何人かのドイツ人学生は、彼(日本人)を、とめようとしたそうです。
普通のドイツ人の考え方には、
つりあわない対戦は、フェアーじゃない!って常識があったんです。
ヘビー級の大男のドイツ人とライト級の小男の日本人では、
あまりに、惨めじゃ~ないですか。
でもね、普段、おとなしくて、ニコニコ顔の日本人は、
思いつめたように、同室のドイツ人の
止めるのも聞かずに、決闘の場所に出かけてしまうのです。
日本人の机の上には、一通の手紙が残されていたそうです。
日本の家族に、ことのてん末を知らせる遺書?だったのかも。
彼は、どうなっちゃうの?
えっ?続くの?・・・・
↑ 過去の日記2.復活祭飾り,電話線箱、イースターの飾り、フランス温泉場
2005/03/28
昨日、一昨日の過去日記に行くときは
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