井上陽水を支持したもの初期のフォークを「歌謡曲の構造」をふまえて推測すると、こんな感じではないでしょうか。新しい音楽として〈FOLK SONG〉に一般の若者が熱中 ('64) ギター、おもに歌声だけで伝承 ↓ 洋楽っぽいメロディーよりも、日本調のものが好まれる ↓ 日本調のものだけが憶えやすく、さらに定着 ↓ 国民のニーズとしてレコード会社が認知 ('72) では、 >井上陽水を支持した聴衆は、陽水に何を求めていたんでしょうか? 陽水登場まえ、何に渇望していたのか・・・受け手が好んで受け入れたのは・・・ 聴衆は何を求めていたんでしょうね。 「傘がない」(72.7)も「心もよう」(73.3)も私的な恋愛感情をリリックにメランコリックに歌っています。 テーマやサウンドは明らかにアングラ・フォークとは一線を隔しています。 陽水のヒットの直前には、拓郎が出ています。同じく私的なラブソング「結婚しようよ」(72.1)「旅の宿」(72.7)がトップ10ヒットとなっていました。 しかし、それがフォークの初快挙かといえば、違ってまして。 アングラ・フォークの中からは、「帰ってきたヨッパライ」「受験生ブルース」の60年代の2曲。 それは別として、70年以降としてはあがた森魚の「赤色エレジー」(72.4)が同時期にあるんです。 「旅の宿」「心もよう」は自然的短音階、「赤色エレジー」は4・7抜き短音階だと思います。 「帰ってきたヨッパライ」「受験生ブルース」「結婚しようよ」のメロディーはおそらく民謡音階に関係があるように感じます。 以前に上げた仮説でいけば、これらは日本人に親しみやすい音階で、自作する方からみても日本人が自然と口をついて出てくるようなタイプのものと言えます。 アマチュアの自作自演の土壌が形成された60年代を経て、70年代このタイプの曲が売り上げ的に大きい支持を得たということは、若い第1支持層のみならず、広い世代に受け入れられた、という証明のように思います。 さらに言えば、この72~73年の〈フォーク・ブーム〉は、逆に若者以外の層に受け入れられたことが、ヒットの大きな原因だったのではないか、と思います。 「傘がない」これ、わたしには平尾昌晃が歌うとポールアンカになるような気がするんです。 〈イタロ・アメリカン〉系ですね。 それとその直前に〈古賀政男〉系の「赤色エレジー」があるのもなにか臭くないですか? 第17講 73年からの〈日本フォーク伝〉へ ジャンル別一覧
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