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テーマ:茶道(330)
カテゴリ:日本文化
今回紹介するのは、「歴史解説MONONOHU」さんの、「一体どう違う?表千家と裏千家」です。
長年の疑問でしたが、ようやくスッキリしました。 千利休が出発点であるのは知っていましたが、前身に闘茶という文化あるのは知りませんでした。 そもそも茶は外国から入ってきた文化なんですよね。 洋を和に、そしてまた洋にカスタマイズした日本最高峰の文化のひとつかもです。 3つ目の千家があるのも初耳でした。 以下ざっくりまとめです。 (日本の茶の歴史) 中国発祥 ・薬として食べるもの ↓ 平安時代輸入 ・普及せず ↓ 鎌倉時代 ・薬として使用 ↓ 南北朝時代 ・飲み物として、闘茶が流行 ↓ 室町時代 ・建物の書院造りが普及し、茶会が書院の広間で流行 ・中国からの唐物を用い、茶の湯の様式が完成 ・村田珠光による改革 ・たけのじょうおうにより「わび」ぼ精神を持った「道」へと進化 ↓ 千利休登場 ・ジョウオウの弟子 ・人間の交流を重んじる茶の湯を完成 ・質素な美の精神も追求 ←豊臣秀吉の理想とする茶の湯と軋轢 ↓ 利休切腹 ・千家取り潰し (系譜) 千利休 ↓ ↓ 千道安(長男) 千少庵(養子) ↓ 千宗旦 ↓ ↓ ↓ 一翁宗守 仙叟宗室 江岑宗左 ↓ ↓ ↓ (高松藩) (加賀藩) (紀州徳川家) 「武者小路千家」 「裏千家」 「表千家」=本家 (3千家の経緯) 表千家 ・家元制度を確立 ・江戸時代隆盛、明治期衰退。西洋文化に圧倒される ・戦後再興するも、裏千家の普及に及ばず 裏千家 ・加賀藩から松山藩へ拠点を移す。 ・大名の指南薬だけでなく、一般庶民への普及にも努める ・初心者でもわかる「七事式」というマニュアル本を出版 ・明治期は衰退しつつも、各地にて門下の創育や講習会を実施。女学校の教育にも茶道を普及。裏千家の基盤造りに力を入れる。 ・戦後の復興にいち早く取り組む。 ・表千家が格式にこだわる一方、学校の授業やクラブ活動、カルチャースクール等で茶道の普及に苦力。 武者小路千家 ・一翁宗守が武者小路という通りに庵を建てたことから命名。 ・戦後、日本初の茶道専門校「千茶道文化学院」開校 (3千家の違い) ・茶の立て方…裏千家は泡多め、他は少なめ ・茶道具…茶筅が違う。表は煤(すす)竹、裏は白竹、武者は黒竹 ・所作 ・入り方…表は左足から、裏は右足から茶室に入る ・歩き方…表と武者は畳一畳を6歩、裏は5歩 ・正座…表と裏はひざ間を少し開ける 3千家とも元祖を競っているわけではなく、完成した地域や事情により、ただ微妙に異なっていった感じです。 動画をみる限り、ほぼ一緒です。 ちなみに昔1〜2回お茶を飲んだことがありますが、水っぽかった記憶しかありません。 クリーミィで舌触りの良い抹茶味を期待していただけに、残念だったのを覚えています。 多分私の抹茶ラテのイメージと勘違いしてるのかもですね〜。😄 ●配信動画 https://youtu.be/wIDp_idSn7g お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 5, 2022 12:00:08 AM
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