Walk in the Spirit

2013/09/10(火)11:00

とりなしの祈りの裏にあるもの

ミニストリー(3558)

とりなしの祈りと言うのは、しようと思って、できるけど、 出来ない、いや、続けられるか、 と言う意味でだけど、  ところが、これが、できる時がある、即ち、続けられると言う意味で、 ドー言う時かと言えば、 それしか、落ち着きが来ない時、いわば、強制的なものであり、 全然、自発的なものではない、 人の中心はたましいにあるんだ、等々、 たましいに光が当てられてきている最近、他人様のたましいの状況が、 何かと気になってきている、 暗く、どす黒いイメージのたましいは、 なんとも言いがたく、重い感じがする、 とりなすとは、 この暗い、どす黒いたましいのために、 イエス様の救いの手が伸ばされるように祈ることである、 で、最近は、 これを祈っていないと、 心に落ち着き、平安が来ない!? いやはや、なんとも、 かっこいい祈りの戦士などではない、 雛形を与えられ、 やってみろ、と言われて、 しぶしぶ導入訓練を受けさせられている、 世間知らずの新米のようだ、 これをして思った、 と言うか、悟らされた、 とりなしの祈りとは、 (とりなす相手のためよりはるかに、)ほかならぬ、 自分の成長のためにあるのだなと、

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