VORから、
死の床でする後悔
15.10.2013, 14:51VOR
オーストラリアの元看護婦が患者の最期を看取った経験を一冊の本にまとめた。題して『死にゆく人の5つの後悔』。人は死を前に何を思うものだろうか。「五大後悔」のひとつが「私は働きすぎた」というものだ。
あなたは最後の日に何を後悔するだろうか。明日、地球に巨大隕石が衝突する。人類滅亡。あなたも私も、誰一人生き残らない。これはブロックバスター小説のシナリオではない、(想像してみてほしい、)本当にそれが起きるのである。最後の一日に、あなたは何をするだろうか?
(中略)
最も普遍的な「後悔」は次のようなものだ。
「他人の望む通りにばかり生きてきた。自分に真実に生きるための勇気が足りなかった」。著者は次のように書いている。「多くの人が、やりたいことの半分も実現できずに人生を終える。そして死の床で、それが結局、その時々の自らの選択の結果に他ならなかったということを悟るのだ」。
「5つの後悔」にはさらに、「感情をあけすけに表現する大胆さが欠けていた」というものがあり、「友情というものにしかるべく目をかけなかった。それに値するものであったのに」というものがあり(死の床では友人との交情に思いを馳せるものであるらしい)、「自分が幸せになることを自ら拒んでしまった」という苦い悔恨もある。
著者は言う。「多くの人が、死の床に着いてやっと、『幸せ。それは結局、選択の問題なのだ』と理解するらしい」。
最後の、
「幸せ、それは結局、選択の問題なのだ、」
は、納得、
ご多分に漏れず、自分も、後悔するやも、
自分の願いを諦めて、
実行に移そうとさえしない、
それは、”選択”さえすれば、
勝手に前に進んでいくものであるにも関わらず、
選択しない理由は、
面倒だ、お金がない、人がいない、時間がない、
いずれも、自分で、
やらない壁(ハードル)を作ってしまう、
もう一度、言おう、
選択しろ!
選択をたじろぐな、
選択と言う扉を開けよ!
あとは、周囲が自分を連れて行ってくれる、
未来は、準備万端、
自分が来るのを待っているのだ、