引越しがらみで、忙しいくせに、イロイロ思いが浮かぶ、
中でも、やはり、今回の一連の実家の売却劇、
ドー、振り返っても、偶然じゃ済まされない、
参考)負けるが勝ち
たまたま、量子コンピューターの話題と重なって、
(オオ、これも重ね合わせだわ、)
参考)どのようにしたら重ね合わせを理解できるか
最初と終わりが出来上がっていて、
中間は、付け足しみたいな、そんな感じ、
最初とは、
6年前の父母の「安心して住みなさい、」であり、
終わりは、
裁判所の強制売却と今回の引越し、
自分にとっては、
この中間の出来事の方がゼンゼン重いのだが、
終わってみれば、
なんだソーだったのか、の世界、
「安心して住みなさい、」とは、実は、
「悪くない売却と悪くない引越し、」だったのである、
0であり1である、
最初であり終わりである、
さらに、父母のことばから、
(ちなみに、父母は当時既に亡き人である、)
生と死について考え直さざるを得なくなった、
復活のイエス様を例に取るまでもなく、
1コリント2:8 この世の支配者たち(サタン)はだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
人生がこの世で終わる、
と言うのはあり得ないことであると、
明らかに、この世とあの世はリンクしている、
ソー言うふうにできている、
*あの、稲盛氏の、
人生を魂の浄化の機会と捉える見方も然り、
人生に失敗がないと人生は失敗する、人生は魂の浄化にあり
これは、理屈ぬきに、
今の自分に迫って来ている、
即ち、今と永遠は同じまな板の上にあり、
死んですべておしまいと考えるのは、俄然、無理がある、
死など、永遠の中の一通過点でしかない、
永遠を前提に人生を捉えるなら、人生で遭遇する
多くの理不尽も解かれてくるではないか、
逆に、恐れも出てきて、
厳粛な気持ちになるけど、
更新日 2017年07月27日 00時27分01秒